第三章 海の砂漠(3)
その1
夏の間じゅう、石澳の海岸は自家用車階級で賑わった。
道路の脇には M・Gやサンビーム・タル・ハットのような
軽快な自動車がずらりと並び、
女たちは上と下が二つに切れたナイロンの水泳着を着ている。
赤や青や黄など色とりどりの日除傘の下では、
金色のむな毛をした西洋人たちがながながとねそべったり、
けだるそうに遠い海上の船を眺めたりしている。
砂は白く、海の色は薄青い。
いつの間にか、カレンダーは九月になっていたが、
熟帯の海はまだ真夏の暑さだった。
ひと頃多かった学生たちの姿がよほど減ったくらいなもので、
それも土曜日になると、自家用車の数は
夏の盛りよりいっそう増えたような感じがする。
金竜が海底に潜っている間、
春木はボートを波任せにして
沖から海辺に集まる人々を眺めて暮らした。
船乗りが時たま船旅をする乗客を眺める気持は
こんなものかもしれない。
海がロマンチックに見えるのは海に金を投ずる人々だけで、
船員や漁夫のように海から金をとろうとする人間には
海はおそろしく退屈な所だ。
ある夕方のことだった。
春木がぼんやり海辺を見つめていると、
ボートの上にあがってきた金竜が
いきなりその前に立ちはだかった。
驚いて、顔をあげたとたんに、
あの筋金入りの拳固がふっとんできた。
よけるひまがなかった。
「畜生!」
ボートが大きく揺れて、
春木は危うく海の中へ落ちてしまうところであった。
よろけながら春木は自分の眼の前にぶらさがっている
海老の袋を見た。
「どうもおかしいおかしいと思っていたら、
こんな小細工をしていたんだな。
殴り殺すぞ!」
「殺せるなら殺してみろ」
怒りが胸の中で爆発して、春木は前後を忘れた。
だが、さすがに殴りかえすだけの気力はなかった。
「お前のような盗人は今日限りクビだ」
「なにが盗人だ。貴様こそ盗人じゃないか」
紫色に腫れあがった眼の縁を押えながら、
春木は怒鳴りかえした。
「二人で一緒に始めた仕事じゃないか。
半分くれと言わなくたってくれるのが常識だ。
それを貴様はひとり占めしているからやむを得ずやったんだ」
「なにをぬかす。
悔しかったら、自分で海の中に潜って、
一匹でもいいから海老をつかまえてみろ。
海老一匹つかまえられんくせに、大きなことを言うな」
「貴様こそ大きなことを言うな。
俺が教えてやらなかったら、
この辺に海老がいることさえ知らなかったじゃないか。
貴様のような奴は人間じゃない」
「おい、おい。
もし俺がそのことを考えていなかったなら、
お前のような下手くその船頭なんぞ傭うものか」
金竜は落ち着きはらっている。
「しかし、もうお前なんかに船頭をしてもらいたくない。
さあ、そこをどけ。舟は俺が自分でこぐ」
春木の手からオールを奪うと、金竜は陸へ向かって漕ぎ出した。
ボートが海岸に着くと、金竜は収穫物を自分で担ぎあげ、
あとも見ずにさっさと行ってしまった。
タ闇の迫る砂浜に、ひとり取り残された春木は、
へなへなと砂の上に坐り込んだ。
渚を打つ波のざーっという音だけが強く胸を打ってくる。
白い泡を立てながら、波が足を洗ってはまたひいていくが、
そこから立ち上がる気力もない。
そのまま波にさらわれていくとしても、
どうにも抵抗のしようがない感じだった。
「どうしたんだ、おい」
ふと見ると自分の前に老李が立っている。
死んだ魚のようにどろんとした春木の眼を見ると
老李はすべてを了解した。 |