第310回
■M・OさんからのQ(質問):お金の教育

わたしは、お金をテーマにされた先生の活動を感謝している
大勢の中の一人です。
感謝している理由は、私事で恐縮ですが私の父の話になります。
徳を重んじる人生を教えてくれたわたくしの父親に対し、
ただひとつの物足りなさを感じることがありました。
それは「お金」のことでした。
お金のことは「汚い」の一言で
かたづけられていたということです。
時がたち、現在、私が父となり
子供にぜひ教えたいもののひとつが「お金の扱い方」なのです。

父の方法と違った教え方をしてみたいと考えていたときに
「お金の神様」とよばれている先生のご著書に出会いました。
それ以来「お金」について幅広くご教授くださる先生の活動に、
深く感謝しないわけがありません。
先生の視点を参考にまだ小さい園児の我が子に
今だからこそ教えたいと日々思っております。

そこで質問は
「お金の学校」もしくは「お金の教習所」についてです。
私なりに考えますと
お金は道具であって 何かの目的に使うもの。
その道具の使い方をよく知る必要性が
あるのではないでしょうか?

今まで日本人が面と向かってこなかった部分ですが、
このままだと、しっかり現実を受け止めている中国など
いろいろな国に、資本や資金もしくは生活までの主流が
いくのかな?と感じます。

先生は、そういった「お金の学校」を
現実にお作りになっておられるのでしょうか?
その必要性はお感じになられますでしょうか?


■QさんからのA(答え)

あなたの育った環境は典型的な日本人の家庭だと思います。
私が半世紀近く前に小説家になろうと思って東京に戻ってきたころは
お金の話をする人はほとんどいませんでした。
どこをみればわかるかというと、
街のあちこちの電信柱に質屋の広告が出ていたんです。
香港なんかに行くと質屋というのは町のど真ん中にあって、
みんな平気で借りに行くのに、
日本人は人に金が無いのを知られるのが恥ずかしくて、
質屋は必ず人気のない路地裏にあるんです。
そうするとどこにあるかわからないから、
電信柱という電信柱に
ここにありますよという広告を出さなければならなかったのです。

質屋の広告は日本人気質のシンボルですねと
冗談半分にエッセイを書いたこともありました。
それが今は、高速道路を走っていても、
サラリーローンの広告をたくさん見ることができます。
サラリーローンに行くのがどうして恥ずかしいという
時代になってしまったのですね。

でも一昔前までは
金の話なんかするのは汚いと教わって子供たちは育ちました。
お金は大切なものなのに、
それをどう使うかということも知らずに、
大人になるということが起こったんですね。
殿様に仕えておれば、殿様が面倒見てくれる。
同じように会社も面倒を見てくれる。
そういう時代は完全に過ぎてしまいました。
私がお金の話しを始めた頃
「邱永漢さんは日本の国に
金銭感覚というものを持ち込んだ人だから
金銭学というのを作り上げた方が良い」と雑誌に書いてあるのを見て、
なるほどその通りだと思ったことがあります。

自分の子供たちにもお金の使い方を
ちゃんと教えてあげたほうがいいと思ったこともあって、
金銭学という名前のついた本も書きました。
一言でいえば、自分のお金をどう使おうと勝手だが、
お金のことで人に迷惑をかけるなということです。
それだけ心得ておればお金のことはしぜんに覚えます。

でもまさか学校まで作って
それを教えるというところまではいきません。
皆さんは実地に自分たちがお金を扱っておるのですから、
お金のやり取りの中でそのルールをしぜんに覚えることができるし、
また先人の遺訓の中から学びとることもできると思います。


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