■QさんからのA(答え)
あなたの育った環境は典型的な日本人の家庭だと思います。
私が半世紀近く前に小説家になろうと思って東京に戻ってきたころは
お金の話をする人はほとんどいませんでした。
どこをみればわかるかというと、
街のあちこちの電信柱に質屋の広告が出ていたんです。
香港なんかに行くと質屋というのは町のど真ん中にあって、
みんな平気で借りに行くのに、
日本人は人に金が無いのを知られるのが恥ずかしくて、
質屋は必ず人気のない路地裏にあるんです。
そうするとどこにあるかわからないから、
電信柱という電信柱に
ここにありますよという広告を出さなければならなかったのです。
質屋の広告は日本人気質のシンボルですねと
冗談半分にエッセイを書いたこともありました。
それが今は、高速道路を走っていても、
サラリーローンの広告をたくさん見ることができます。
サラリーローンに行くのがどうして恥ずかしいという
時代になってしまったのですね。
でも一昔前までは
金の話なんかするのは汚いと教わって子供たちは育ちました。
お金は大切なものなのに、
それをどう使うかということも知らずに、
大人になるということが起こったんですね。
殿様に仕えておれば、殿様が面倒見てくれる。
同じように会社も面倒を見てくれる。
そういう時代は完全に過ぎてしまいました。
私がお金の話しを始めた頃
「邱永漢さんは日本の国に
金銭感覚というものを持ち込んだ人だから
金銭学というのを作り上げた方が良い」と雑誌に書いてあるのを見て、
なるほどその通りだと思ったことがあります。
自分の子供たちにもお金の使い方を
ちゃんと教えてあげたほうがいいと思ったこともあって、
金銭学という名前のついた本も書きました。
一言でいえば、自分のお金をどう使おうと勝手だが、
お金のことで人に迷惑をかけるなということです。
それだけ心得ておればお金のことはしぜんに覚えます。
でもまさか学校まで作って
それを教えるというところまではいきません。
皆さんは実地に自分たちがお金を扱っておるのですから、
お金のやり取りの中でそのルールをしぜんに覚えることができるし、
また先人の遺訓の中から学びとることもできると思います。
|