死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第94回
白髪もハゲも最後は同じ

私に限ったことではないが、
同年輩の友人たちに比べて自分の髪毛だけが
心細くなっていくのを気にしない男はまずいないだろう。
私が直木賞の通知を受けて文藻春秋社に出かけて行った時、
当時、編集長をやっていた池島信平さんが、
私の顔を見て、「邱さんは四十歳くらいですか?」ときいた。
当時、私はまだ三十一歳であった。
そういう池島さんご自身も頭はすっかりテカテカになっていたが、
生まれつきの薄毛症だったと見えて、
眉毛もほとんどなかった。

頭のうすいのは同類には事欠かないが、
眉毛のない人は少ないから、
さすがに気になると見えて、眉墨で眉を描いていた。
もちろん、私とて平気だったわけではない。
ヨーモートニックやカミノモトからはじまって、
ありとあらゆる毛生薬は試みたが、
「薬石効なく」とはきっとこういうことをいうのであろう。

四十歳のはじめの頃だったか、
ある時、毛の生える酵素を持ち込まれて
ーカ月ほど頭にふりかけていたところ、
ピッシリと初毛が生えてきた。
期待していなかったことだけに、
私は驚喜して文藝春秋社に「頭に毛の生えた話」
という一文を書いたところ、これが物凄い反響を呼び、
郵便配達が段ボール箱四杯分のハガキを持ち込んできた。
いずれもそのクスリをぜひわけて欲しいという申し込みで、
改めて同じ悩みを持った人が
世の中に如何に多いかを思い知らされた。

池島さんは私の文章を読んで、
「邱さんのような頭のいい人が
どうしてこういう無駄なことを考えるのだろうか。
髪の毛はどんなにしても、生えてきやしないよ」
と人づてに私に感想を伝えてきた。
池島さんもいろいろと苦労してきたんだなと思わず笑ってしまった。

私はそのクスリに「救髪」という名前をつけ、市販までしたが、
結局、長続きはしなかった。
初毛までは生えるが、それが黒髪までは育たなかったので、
結果は池島さんの予言通りになってしまった。
私は髪の毛を育てる何らかの物質が
血管によって頭の皮膚にまでもたらされるが、
毛細血管の通りが悪くなれば、
仮に同じ物質を外から一回や二回供給してもとても間に合わない。
だから頭の皮の下を通る血管の循環をよくすることが第一で、
皮膚の新陳代謝を支える物質は
何かと突きとめることが第二、と考えている。
ついでに申せば、髪毛も胃壁も、
皮膚の一部であることに変わりはないから、
皮膚の新陳代謝を司る物質が発見されたら、
多分、ガンの問題も同時に解決されるだろう。

ハゲをなおすクスリを発見しても、
水虫を完治するクスリを発見しても
ノーベル賞ものだといわれているが、
どれもまだ発見されていないのは
どれもお互いに関連があるからだと考えてよいだろう。

しかし、ハゲを気にするのは、
年齢と風貌の釣り合いがとれない間だけのことであって、
うすくなった髪毛に年齢が追いつくと、
やがて髪のうすいことは忘れるようになる。
ある時、佐藤春夫先生のおたくで、
何かの拍子にハゲの話になった。
そうしたら、佐藤先生は、
「ハゲの似合う人はハゲになるし、
白髪の似合う人は白髪になるものだよ。
そして、最後に行き着くところは皆、同じだよ」
とおっしゃって大笑いになった。

実際に、風貌に年齢が追いつくようになると、
ハゲが気にならなくなっただけでなく、
狭い額にいきなり白髪が迫って
何となくゆとりがない人よりは、
まだハゲのほうが利ロそうに見えるだけましだと思うようになった。
また同じハゲでも堂に入ったハゲもあれば、
品のないハゲのあることにも気づいてくる。
人を見るのに、若い時のように美醜で見なくなり、
気品のあるなしで判断するようになる。
当然のことながら、
気品のある年のとり方をしたいものだと思うようになる。





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2015年6月26日(金)

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