第50回
海外旅行は物の値段を知るチャンス
どのくらい値引きをする積りで
値をつけているかは店によって違う。
印度人は半額でもうる積りだから、
半額に値切ると、こちらが一杯食わされる。
店の女主人は中国人だったが、
「銀器は銀の地金が高いから、
そんなには値引きはできません」といって
そうやすやすとは値引きに応じてくれない。
さんざやりとりをしたあげ句に、
やっと20%引きに落ち着き、
いよいよお金を払う段になって、
「カードの代わりにキャッシュで払うが、
もう三%負けるか」ときくと、
どのカードかとききかえす。
アメリカン・エキスプレスは六%も手数料をとるから、
東南アジア中から嫌われているし、
ビザやダイナースは大体三%だから、
カードで払ってもらうより値引きして
キャッシュでその場でもらったほうが面倒がない。
やっと話がついた頃にはこちらも腹ペコになっていたから、
ついでに「このへんでうまいタイ料理屋はないか」
ときいて教えられたところへ昼食を食べに行った。
日本では物を買う時に値切る習慣がないから、
買物は品物選びだけですんでしまうが、
香港・台湾をはじめ、東南アジアから
アフリカに至る地域へ行くと、値ぎめをするまでに、
何回も店を出て行くフリをしなければならない。
根気のない人はそれだけでエネルギーを消耗してしまって
ヘトヘトになってしまうが、
安く物を買うのも生活の知恵であり、
お金を節約する手段のーつである。
バンコクやコロンボの市場を覗いても大へんな活気だし、
イスタンプールやカイロの回教徒のバザールに入っても、
息が詰まるほどの賑わいである。
いずれも売る人と買う人の戦場みたいなもので、
売った、買ったの掛け引きの中に人間の生きざまが見られる。
人間は売ったり買ったりすることを忘れると、
死んだようになってしまうのである。
もちろん、日本国内にも売ったり買ったりの場はいくらでもある。
魚市場とか、材木市場とか、
市の立つところには人が集まる。
また、証券市場や卸売市場も売り買いの場である。
小売りの段階では、値段が定価売りになっているので、
買うか買わないか、どの店で買うか、
という選択しか消費者には許されていないが、
生産者と問屋、 問屋と小売店の間には
掛け引きの余地はかなり残っている。
日本が今日ほどの金持ちになったのも、
メイド・イン・ジャパンの売り込みに成功をしたからである。
しかし、一つの組織が世界中の商人を
相手の掛け引きに成功しても、
個人が直接掛け引きをするチャンスは日々少なくなっている。
権謀術数とか、派閥抗争とか、
そうした争いは絶えることがないが、
年輪を重ね、社会的地位があがるほどに、
物の値段を覚えるチャンスを失う。
こういう人にとっては海外旅行は
物の値段を覚えるまたとないチャンスになる。
それは外国における物の値段であるが、
外国で物を買おうと思えば、
日本円を外貨になおすか、外貨を、
円に換算しなおすかしなければ、
安い高いの判断すらつかない。
それはまた日本の物価と
それぞれの国の物価を比較するチャンスにもなる。
日本は大金持ちになったというけれども、
こんなに物価が高ければ、
貧乏な時代とほとんど変わらないことがわかる。
とすれば、もう少し知恵を働かさなければと元気も出て、
このままぼんやり年をとるわけにはいかなく
なるのである。
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