第51回
金曜日のマキシムはタキシードで
ある時、パリのホテル・クリヨンに泊っていて、
すぐ近くにあるマキシムで食事をすることを思い立った。
いつもマキシムの店の前は通るが、
一度も中に入ったことがない。
というのも、マキシムがあまりにも有名になりすぎて、
いささか観光ズレをし、今まで三つ星をつけていたミシュランが
二つ星に下げようとした。
そうしたら、マキシムが、
「二つ星じゃカッコがつかないから、
いっそガイドブックからはずしてくれ」
といったという逸話をきかされていたからである。
しかし、話のタネに、まあ、
一ぺんくらい行ってみるのもいいじゃないか、と思いなおして
予約の電話を入れた。
「ご予約は金曜日の夜でしたね。
失礼ですが、タキシードをご着用いただくことになっていますが」
予約の受付係がいった。
それで金曜日の夜のマキシムは
礼服を着ないと入れてくれないことを思い出した。
「旅先でタキシードは持ってきていない。
やっばりやめることにします」
といって私は電話をきった。
おかげでいまだにパリのマキシムには行ったことがない。
タキシードを着ないと入れてくれないなんて、
少々格式張っている。
タキシードを持っていないわけではないが、
旅先のことだし、そういわれると、行かなくても別にいいや、
という気になってしまう。
日本ではさすがに、タキシードを着ないと
入れてくれないパーティは滅多にないが、
男ならちゃんとネクタイをしないといけないとか、
女ならズボンでは駄目だというパーティは時どきある。
ズボン姿の女性を締め出すことは少なくなったとしても、
ちょっとしたフランス料理店なら、
たいてい、ネクタイは要求される。
タキシードにせよ、ネクタイにせよ、
お客の服装に条件をつけられたりすると、
何となく抵抗したくなる。
しかし、自分たちがちゃんとした服装をしているのに、
ジーパンにサンダルのラフなカッコをした人たちが
ドヤドヤと入ってきたりすると、
「何だ、こいつら」と逆に反感を持ちたくなる。
やはり服装にはTPOがあって、朝、昼、晩、
同じカッコというわけにはいかないし、
また結婚式やダンス・パーティと
リゾートホテルに泊っている時とでは、
着る物が違っていて当たり前であろう。
私なども時どき、
東京以外の地方都市の結婚式に呼ばれて行くことがある。
仲人をやらされれない時でも、
主賓の席に坐らされてスピーチのーつくらいはやらされる。
だから礼服一揃い持って行かなければならない。
簡単なようだが、タキシード一着にしても、
そのへんのデパートに行って、
カインドウエアの特売を買ってくるというわけにはいかない。
人と同じ服では、秦の始皇帝の墓陵から掘り出された
兵馬桶のような感じになるから、
たった一着のタキシードでも、ヨーロッパ中、
あちこち探してまわる。
長い間、私はパリで買ったテドラピドスのタキシードを着ていた。
さすがに最近は体型が少し変わって、
四十代のはじめに買った礼服では
サイズが合わなくなってしまったので、
ミラノでもう少しサイズのゆったりしたものを買った。
シャツはローマのクッチ
(グッチではない。シャツの専門メーカー)の絹物を
着用に及んだこともあるが、
どういうわけか、シャツに関する限り、
あらゆるヨーロッパ製のプランド商品をあれこれ着てみた末に、
結局、日本製に落ち着いた。
したがって今ではごくありふれた
木綿の礼服用の白シャツを愛用している。
|