死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第8回
不安定がついて回った亡命生活

サラリーマンを長くやっていると、
妙な安定感があって、
なかなかサラリーマンが辞められなくなる。
私ももし生命が危ないという目にあわなかったら、
はたしてサラリーマンを辞めたかどうかわからない。

現に台北から香港へ高飛びし、
知らない世界におっぽり出されて、言葉も通じず、
学歴も役に立たず、職に就くこともできない目にあわされた時は、
自業自得とはいいながら、心配のあまり夜も寝られず、
ベッドの中でまんじりともせず、
朝を迎えることがしばしばあった。

年をとってからの失業や定年は、
仕事のないことが苦痛になるが、
年の若い時の失業は収入のないことが最大の不安である。
しかしあとになって考えてみると、
そうした不安を避けて通ろうとすると、
独立のきっかけをつかむことは難しいし、
逆に思い切って自分をそういうところに突き落としてみると、
意外に道はひらけて行くものである。

だから人生の布陣をする時は、
場合によっては「背水の陣」を布くことが、必要である。
ここで頑張る以外に自分の生きる道はないと覚悟すれば、
また何とかなるもので、
いっぺんそういう切り抜け方を身につけると、
自信がついてそんなに心配しないですむようになる。

それでも、いきなり一人だけ香港におっぽり出されて、
「さあ、自分でやって行け」ということになった時は、
はたしてこれで飢え死にしないですむのだろうか、
と心細くなった。
サラリーマンをやっていて「お先真っ暗」という場合とは、
深刻さの度合がまるで違う。

普通なら貧乏しているといっても、周囲に親兄弟なり、
友人知人がいる。
学歴が役に立たないといっても、四肢健全なのだから、
肉体労働に従事することもできる。
ところが政治亡命をして異郷をさまようことになると
故郷へは帰れないし、周囲に頼れそうな人は一人もいない。
働けばよいといっても、
当時の香港は大陸からの難民で溢れていたし、
言葉も通じなかったから、
働きたくともやとってくれる人がいなかった。
それに、本当のことをいえば、
「自分は事情があって亡命の徒になっているが、
国へ帰れば一廉の人物なんだ」というプライドがあるから、
まさか糊口をしのぐためにレストランの皿洗いとか、
波止場の苦力になるわけにはいかない。
幸いにも私は、皿洗いや苦力にもならずにピンチを切り抜け、
間もなく高級マンションに住み、自家用車を持つ身分になったが、
経済的な不安定はいつもついてまわった。
香港でどんなことをやって浮かびあがったかは、
以前にも書いたことがあるので、ここではくりかえさないが、
いくらお金をつかむチャンスがあり、
それをつかまえることができたとしても、
人間のチャンスはそういつまでも続くものではない。

多少、落ち着いてから私は香港で結婚をし、
娘も生まれ、妻にすすめられて
自分たちの住む家を買ったりしたが、
根が商売人にできていないせいか、商売を続けることができず、
収入も途絶えがちで、いつも収入の不安定に悩まされた。





←前回記事へ

2014年12月8日(月)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ