第9回
果実園経営か貝とりか
商売はきっと自分に向かないのではないかと
何度も首をかしげた。
麻雀と競馬くらいしか
時間潰しの方法がない香港のようなところで、
明けても暮れてもお金のあとを追いかけるのにはあきあきした。
そこで、わずかばかりの手元に残った資金を使って
何かやれる仕事はないかと考えた。
まず第一は、九龍半島の郊外にあたる沙田というところに
土地を買って、パパイアでも植えて暮らすことを考えた。
パパイアを植えることを思いついたのは、
パパイアからつくられるパパインが日本で不足をし、
その注文を受けたが、
香港でもそれに応じられないことがわかったからであった。
パパインは消化剤に使われるが、
アメリカから輪入された堅い牛肉を柔らかくするための
添加剤としても使われる。
これから日本人はアメリカの堅い牛肉を
食べるようになるだろうから、
長期にわたって需要があるだろうときかされた。
パパインはパパイアから簡単につくれるし、
パパイアなら痩せた土地にもできる。
一年もしないうちに、
しかも信じられないくらいたくさん実がなる。
台風にあって幹ごとなぎ倒されたとしても、
そのすぐあとから芽を出して、またすぐ花が咲き実がなる。
台湾の自分の家でパパイアを植えていたから、
これなら自分にもできるのではないかと思った。
そこで農地の売り物があると、妻を連れて見に行った。
最近のこと、香港に行ったついでに沙田に行ってみると、
沙田は九龍のベッド・タウンになっており、
八百半の店などもできて人ロは四十万人もあるそうだ。
しかし、三十何年前は電灯すらなく、照明といえば、
石油ランプしかなかった。
私も妻も商家の出で、生まれてこの方、
農業などやった経験がない。
はたして来る日も来る日も果実園の手入れをして、
それでガマンできるものか自信がなかった。
結局、パパイア園は断念したが、
いまその周辺は二十階建て、
三十階建ての住宅マンションが立ち並んでいる。
もしあそこでパパイアを植えていたら、
今頃、土地成金になっていたかもしれないと思ったりもするが、
あるいはパパイア栽培にあきあきして、
ちょっと地価が上がった途端にあわてて土地を売り払い、
やっぱり今も貧乏しているのではないかと
思い返してみたりもする。
二つ目は、ボルネオに行って高瀬貝をとる仕事であった。
どうせもう台湾には帰れないし、
香港にはつくづく愛想がつきていたので、
行くならボルネオか、セレベスか、
あまり人の行かない遠いところがいいと思っていた。
セレベスでコーヒーの栽培をしている人がいるときいていたので、
もしセレベスに行くことになったら
コーヒーづくりをやればいいし、
高級ボタンの材料にする高瀬貝はボルネオの周辺でとれるから、
船を一隻買ってボルネオ近海で高瀬貝をとり、
大阪のボタン屋あたりに
売ればいいんじゃないかと考えたりもした。
もしボルネオに行っていたとしたら、
それから間もなく仕事をたたんでいたに違いない。
戦後プラスチック製のボタンが普及し、
高瀬貝を使うボタン屋はまったくなくなってしまったからである。
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