第158回
中国本土15年証券史、15の重大事件で振り返る
中国最大のポータルサイト「新浪網(SINA)」では、
中国証券市場15年の歴史を振り返って、
15の重大事件を上げています。
括弧内は私の一言コメントです。
1.上海証券取引所と深セン証券取引所の設立
及び90年と91年の取り引き開始
(ここから始まりました)
2.1992年に海外投資家向け株式、
つまりB株を初めて発行、
「真空電子(現・上海広電電子)」が上場
(資本市場の対外開放という意味で画期的)
3.1992年、中国政府が国務院証券委員会と
中国証券監督管理委員会(CSRC、証監会)を設立
(泣く子も黙るCSRCの誕生)
4.1992年末、国務院が
「証券市場のマクロ管理を
さらに強化することに関する通知」を発表
(国による初めての証券市場政策の発表)
5.1993年9月に中国本土で初めて流通市場での買収
「宝延騒動」が起きる
(資本市場が成熟に向かう先駆け)
6.1995年5月、国債先物取引のテスト施行を一時禁止
(この時点で、まだまだ先物は早すぎた)
7.1996年12月、中国本土の1日に値幅制限が
前日終値の上下10%に定まる
(今では当たり前、思ったより新しい制度)
8.1997年11月に「証券投資基金管理暫定規則」が
公布、実施へ
(ファンドなどの育成は今でも重要課題)
9.1998年12月に中国の国会である全国人民代表大会で
「証券法」が可決採択、翌年施行へ
(証券市場できてから8年目の本格法整備)
10.1999年10月、「中国証券監督管理委員会
株式発行審査委員会条例」が可決採択、施行へ
(IPO許認可がここで決まるようになりました)
11.2001年6月、「国有株放出
及び社会保障資金管理暫定方法」発表、
「国有株放出」がクローズアップ
(現在に至るまで本土市場最大のアキレス腱)
12.2001年2月、B株が中国国内に取引開放、
ここからB株が急騰
(日本の中国株(第二次)ブーム?のきっかけ)
13.2002年12月、QFII(指定国内機関投資家)
制度導入のための法整備確立
(A株など、一部対外開放へ)
14.2003年10月、全国人民代表大会で
「証券投資基金法」採択、翌年施行へ
(ファンドの監督管理を本格化)
15.2004年1月、国務院が
「資本市場の改革開放及び
安定発展の推進に関する若干の意見」を発表
以上です。
株式というのは過去を振り返ってもしょうがない
というのは言うまでもありませんが、
それでも押さえておきたいものです。
ただ、今回改めて歴史を振り返ったのは、
過去を詳しく紹介したいためではありません。
最後の
「資本市場の改革開放及び
安定発展の推進に関する若干の意見」には
コメントをつけていません。
実はこの「意見」が今、中国本土相場を動かしています。
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