第115回
海南華銀で華晨中国汽車が急落、その真相は?
海南華銀国際信託投資公司(海南華銀)は、
1988年に華遠集団、中国金融学院、
中国銀行北京支店が出資して設立されたもので、
国有の非銀行株式制金融機関として、
海南省海口市を中心とし、
その地の利を生かして
業容を拡大させてきていました。
設立当初、
中国金融学院党委員会の徐文通・書記が董事長に、
中国銀行北京支店の牛忠光・支店長が副董事長に、
総経理には華遠集団の戴小明・総裁が就任するなど、
その豪華メンバーで話題にもなりました。
実務を担当する副総経理には、
金融専門家として名を馳せていた
夏鼎鈞氏が就任しています。
しかし、1992年になって、
華遠集団と中国金融学院はそれぞれ撤退、
それ以降、雲行きが怪しくなってきました。
経営難に陥り、
2001年の時点で16.5億元の負債を抱えて、
業務停止命令を受けています。
その海南華銀が、2004年7月8日になって、
中国の中央銀行である中国人民銀行から
正式に閉鎖命令を受けたとして
大きな波紋を投げかけました。
特に、華晨中国汽車(ブリリアンスチャイナ、1114)
に対する影響は大きいものがありました。
8日の1日だけで株価は7%以上下げたのです。
海南華銀と華晨中国汽車の関係は若干複雑です。
会社同士のつながりとしては、
海南華銀が華晨中国汽車に対して
融資を検討していたといわれるものです。
それまでに、海南華銀は実質的に
業務を停止していたのですから、
この融資の話も怪しいものですが。
また、実質的に海南華銀を運営していた
夏鼎鈞氏と華晨中国汽車と関係の深い
仰融氏との関係も注目されました。
時にはお互いに
強力なパートナーとなったことも
あったようですが、
大きな確執もあったともされます。
仰融氏が2002年に疑惑を投げかけられた
「国有資産乗っ取り」は、
夏鼎鈞氏が仰融氏を
影で支えていたともされています。
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