第92回
華潤集団の一発逆転、方向転換と力強い後ろ盾
改革開放によって、
華潤集団は非常に大きな岐路に
立たされることになりました。
貿易で生計を立ててきたのに、
その貿易で大きな壁に阻まれることになり、
立ち行かなくなった時、
華潤集団が選択した道こそ、
今から思えば
「華潤集団を知らなくては中国株は理解できない」
ことを決定付けたといえます。
華潤集団には、
基本的に何の後ろ盾もありません。
インフラ事業に従事していた、とか、
製品を作っていた、とかではなく、
商品を右から左に流す
貿易業務が中心であったためです。
中国の貿易管理当局とは
強いパイプがありましたが、
当時はそれだけではなんともなりません。
この苦境に対して、
後ろ盾のない華潤集団の選択肢は、
ある意味で「投資」しかなかったのかもしれません。
華潤集団は、
もともと中国−香港−海外の貿易業務によって、
「中国の対外窓口」的な役割を担ってきました。
これは、中国から海外へ、という流れになります。
80年代を通じて、90年代になると、
欧米市場の飽和状態に伴って、
貿易業務はより一層苦しくなったために、
華潤集団では海外(香港)から中国へ、
というように事業転換を図ります。
結局、華潤集団は
中国本土に対する産業投資を
加速させていくことで活路を見出し、
それが成功を収めたといえます。
改革開放が進み、
対外貿易の重要性が向上するに伴い、
対外経済関係を掌握し、
強い権力を持った省庁としての
対外貿易経済合作部が組織されました。
当然、華潤集団と対外経済合作部には
強いパイプが存在します。
あてにならなかった後ろ盾が、
時局に合わせるような形で、
逆にこれ以上頼りになるものはないほどの後ろ盾に
変化したことになります。
現在の華潤集団の董事長である陳新華氏は、
対外貿易経済合作部で
副大臣に相当する副部長を
勤めたこともあるほどの人です。
対外貿易経済合作部が
現在は商務部に統合されたことからも分かる通り、
ビジネスにおいて
最強のバックボーンが
華潤集団には確立されたことになります。
改革開放当初、もともと後ろ盾がなくて、
生死の選択を迫られた華潤集団が、
改革開放の進展に伴って、
強力な後ろ盾を得ることになった
という逆転劇が実現したわけです。
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