したがって日本のデパート業が欧米のデパートに学ぶところはそれほどなく、商品構成のうえでもサービスのやり方でも、日本のほうが欧米よりはずっと上である。シンガポールに行くと、オー・プランタンのデパートがあるが、日本から進出したデパートに比べるとはるかに見劣りがする。オー・プランタンは日本でもダイエーと提携しているが、フランスのデパートということが多少、役に立っているだけで、あとは日本側が独自のノウハウで経営をするのでなければ、恐らく長期にわたって消費者をつなぎとめていくことはできないであろう。
日本のデパートが最初から高級品を集めて中流以上の顧客を相手にするようになったのは、デパートが三越とか、高島屋とか、松坂屋とか、松屋とか、もともと主として呉服屋によって経営されたことと関係がある。呉服屋は日本人の最も大切にするキモノ、それも値段の高いものを扱う商売であった。それが呉服以外の日用雑貨を手がけるようになったのだから、しぜん町の商店街の小売商よりはずっとましな品物を扱う。お客のほうでもデパートで売っている商品は商店街より高いのが当り前と思っているから、高いことを覚悟して買ってくれる。「今日は三越、明日は帝劇」というセリフが残っているように、百貨店に行くことは最高の賛沢であったし、百貨店としてもそうした名声を持続させるために努力したので、日本人のイメージのなかのデパートは、明治以来ずっと高い水準に保たれている。
呉服屋上がりの百貨店に対して、やがて電鉄会社の直営によるターミナル・デパートが出現するようになった。その先鞭をつけたのは阪急の小林一三であり、その真似をしたのが東急の五島慶太や西武の堤康次郎である。ターミナル・デパートは交通の至便さという点で、呉服屋上がりの百貨店より優位に立ったが、すでに百貨店によって築き上げられた高級イメージはそのまま継承されたので、日本人のデパートに対するイメージはそのまま温存された。
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