企業に起ることは、少し遅れて個人や家庭にも起る。日本の企業が資金不足に悩んで借金に頼ったとき、個人はまだ借金のうま味に気がつかなかったので、節約したお金をせっせと銀行に運んで、零細ながらもお金の貸し手の側にまわった。おかげで企業はインフレのメリツトを享受し、肥って大きくなったが、そうやって肥った企業もその利益を自分たちの従業員に分配したので、個人は貯金によって目減りした分を新たな収入によって補った。
会社の取り分になったり、その取り分をまた個人に分けあたえたりして、いったい、どちらが得をして、どちらが損をしたのか、必ずしも定かではないが、とにかく社会全体として付加価値のふえた分だけ富がふえた事実に変りはないから、お金はまわりまわって、一見お
金とあまり縁のなさそうな下積みの人々まで潤すようになり、日本人全体を金持ちの国民に押し上げてしまったのである。そうなると、一世帯当りの貯蓄も昭和六十二年で平均八二○何万円という数字になる。それは日本人の年問平均所得四七七万円の一・七二倍にあたる。
これだけの貯蓄ができるまでの過程で、個人もお金の扱い方についていくつかのことを習い覚えた。まず家計の運営を企業と同じように、借金に頼るようになった。ほんの二十年前までは、個人が借金をすることは罪悪視され、家を建てるのもお金がたまってから、というのが常識であった。この気風に対し、私は理財に関する限り個人も企業を真似すべきだと考え、しきりに借金をすすめたが、住宅ローンが普及すると、どうやら家計に借金を取り入れることが常識化した。
もう一つは財テクが盛んになったことである。これまではお金の貸し手にばかりまわっていた個人が、銀行に預金をすることをやめて、直接、株やワンルーム・マンションなどに投資するようになった。
二百年前に書かれたアダム・スミスの『国富論』を読むと、ヨーロッパで一番金持ちになったオランダ人が、国をあげて財テクに励み、フランスやイギリスの国債を盛んに買い込んでいたことが記述されている。
スミスによると、「オランダでは、実業家でないのは時代遅れであり、必要に迫られて大抵の人が財テクに走る。流行の服を着ないのが時代に合わないように、ビジネスをもったり、財テクをやったりしない人は滑稽な存在になった」そうであるが、何といまの日本によく似た話ではないだろうか。
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