もし三十年前の私に日本の未来像がある程度キャッチできていたとしたら、それは私が当てずっぽに「日本には輝かしい未来がある」と思ったからではなくて、まだ食うや食わずのその日の暮らしであったけれども、私が三十何年前の日本人の働きぶりのなかに将来、金持ちの国になる体質を見てとったからであった。社会現象は植物における蕾や花や枝ぶりみたいなものであって、そういう条件が充たされておれば、やがて蕾となり、花と咲くことは間違いないのである。昭和二十年代は敗戦の苦しみに皆があえいでいたし、三十年代の初めになっても高度成長経済はまだ始まっていなかった。しかし、人々には働く意欲があったし、企業の設備投資も旺盛であった。日本は資本も資源もない貧乏国であったが、資源がなければ輸入すればよかった。ただし、いつでも自由に原料や生産設備を輸入できたわけではなかった。
好況が続いて貿易収支が黒字になれば、輸出に見合った資源の輸入ができたが、俗に鍋底景気という言葉があるように、アメリカから注文がドッと流れ込むと、底が浅いために国内景気がたちまち沸騰し、資金需要が急増して、金融引締めを招いた。そのたびに貿易収支は赤字化し公定歩合は引き上げられて、企業は設備投資の半ばで資金の手当てに四苦八苦した。日本の企業で潤沢な資本を擁するものは、ほとんどまったくといってよいほどなく、全上場企業を通じて借金経営、それも自己資本はわずか十五%という状態が長く続いたのである。
|