第634回
徳川家康の鼻の下は?
織田信長の鼻の下は右側が副腎に対応し、
左側が胃に対応しています。
右とか左とは本人の右、左です。
豊臣秀吉は右側は胃に対応し、左側は副腎に対応しています。
徳川家康は、右側は前立腺、左側は副腎に対応しています。
副腎はデザイナー的素質があり、
自分でこういう国を作るというビジョンというか、
設計があるということを意味しています。
今までの国の体質、
体制ではうまくないという事を実感して、
それを改革していくという姿勢の持ち主です。
鼻の下が前立腺や子宮に対応している人は、
脳のアンテナがよく発達している人で、
知らない人から見ると神懸かり的な発想をする人のようです。
実際天理教の教祖の中山みきの鼻の下は
両方とも子宮に対応しています。
見えないものも見える、
感じとれるという感覚がするどい人のようです。
聖徳太子は右側が胃で左側が副腎です。
書字から推測するに聖徳太子は左利きのようなのです。
というのは、
右側の大脳皮質の運動野の働きが
左側の運動野の働きよりもいいのです。
文字を書くときに右利きだと左脳の働きを反映します。
そして、書いた文字を見ると、
一行の文字の最初から最後の一文字を除いて、
左脳を反映しています。
織田信長や豊臣秀吉の場合は、
書いた文字は左脳を反映しています。
織田信長は書いた字が胃に反応し、
行の最後の一文字は副腎に反応しているのです。
豊臣秀吉は書いた文字は副腎に反応しています。
ということは、二人とも右利きだということが言えると思います。
徳川家康も聖徳太子と同じく左利きのようなのです。
文字の行の最後の一文字を除いて、みな前立腺に反応します。
徳川家康の取り巻きから見ると
家康はとても神秘的なところがある
と思われていた可能性があると思います。
子供の頃から人質にとられ、
何時命を狙われてもいいような状況でもそうできない何かが
徳川家康にはあったのでしょう。
その時代の改革者と言われる人たちは
皆鼻の下に副腎の反応があるのです。
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