第923回
「〜〜がない」という変なキャッチに騙されるな
最近の料理店紹介の特集で目立つのが
「・・・がない店」というくくりです。
「看板がない店」はかなり前からの定番特集のようで、
繰り返し各雑誌で取り上げられています。
「修行歴がない料理人」、「修行歴が短い料理人」
もかなり認知されてきました。
そして、私が一番嫌いなのが、
「取材を受け写真や店名を記載させるのを承諾し、
所在地のヒントを記しておきながら、
住所や電話番号をわざと掲載させない店」
であります。
本来あるべきものを
「ない」と宣言する(雑誌で宣伝する)ことにより、
逆に注目度をあげ、
読者の好奇心に火をつけて集客につなげるという、姑息な営業戦略。
友里は以前からこの「店側の営業戦略に騙されるな」
と主張してきました。
「看板がない」店が雑誌で取り上げられると、その掲載が立派な
「看板替り」になります。
下手な店先の看板より客をひきつける効果は高いでしょう。
昔はどこそこで修行してきた、
というのが料理人の大きなウリでありました。
フレンチやイタリアンでは、
国内だけで本場で修業していないシェフでも
有名になってきましたが、
スシの客筋はもっと寛容な集まりのようです。
「さわ田」は青木に半年ほど、
それ以前も他店に居たかもしれませんがその期間はかなり短い。
「あら輝」も「きよ田」での修行を一枚看板にしていますが、
週末に押しかけていただけで、基本は別のスシ屋だったはず。
だいたい、30前後で独立してしまう鮨ボーイズたちですから、
修行歴はかなり短いものでしょう。
そして究極が「なかむら」。
鮨屋の修行歴ゼロをウリにしているからです。
要は、見よう見まね、
短い期間で親方の技量を身につける事が出来る、
鮨技術は底が浅いものだと若手の鮨職人は暴露しているわけです。
江戸前仕事だ、なんだかんだ言っても、
職人仕事よりまずは、「タネ質」を吟味した方が
客にはウケるということを世間に認知させたのが、
中野坂上にあった当時の「さわ田」でしょう。
ましてや、鮨屋での修行歴がない「なかむら」は、
和食の経験だけで、見よう見真似でやっているわけです。
なんだ、偉そうに年寄りの鮨職人が薀蓄語っているが、
経験がなくてもタネ質に拘ればできるではないか、
と世間が知ってしまった「鮨革命」であります。
しかし、それでも私はベテランの反論を聞いたことがありません。
前にも述べましたが、鮨は蕎麦と同じく技術の奥が浅く、
一にタネ質、二に薀蓄、三、四がなくて、五にやっと技術、
ということでしょうか。
「店データを記載させない」主人を、私は信用しません。
新規の一見客がきて店を荒らし、常連に迷惑がかかる、
と言い訳しますが、本心からそう思っているならば、
取材を断固拒否すればいいこと。
近辺の地番を載せるのを承認して、
ちょっと探せばわかるようなヒントを散りばめるのは、
姑息な料理人の浅知恵というものです。
門上さんの取材要請にも断固応じない取材拒否の店があるのです。
私は言い続けたい。
店側の見え透いた宣伝戦略に踊らされてはいけない、と。
料理人の性格を見極めることが、
美味しい店、美味しくない店を判断できる有効な手段である、と。
そのうちエスカレートしてくると、
「料理人がいない店」といったキャッチを
ウリにする店がでてくるのではないでしょうか。
今でも
「マトモな性格の料理人のいない店」はごろごろありますけどね。
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