第794回
ショコラ ドゥ アッシュと辻口さんの関係は?
「大人の週末」10月号に、
有名パティシエ・辻口博啓氏のインタビューが
3ページにわたって載っていました。
パティシエを目指すきっかけとなった友人宅での
「ショートケーキ話」はありましたが、
庭に池まであった豪邸に住んでいた裕福な家
という記述はなくなっていました。
裕福な家のお坊ちゃんが、小学生になるまで
ショートケーキを食べた事がないとは考えられない、
との友里の突込みから削除を判断していただいたなら幸いです。
しかし、未だに事実に反する記述があるのには残念です。
オープン当時は長蛇の行列だったが今は簡単に入れる
六本木ヒルズの「ショコラ ドゥ アッシュ」。
誌面では相変わらず
辻口さんの店というニュアンスで書かれていますが、
この店は「サルヴァトーレ クオモ」などを大々的に展開している
「ワイズテーブル」という多店舗展開会社が経営しているのは
周知の事実のはず。辻口さんは名義貸しでしょう。
ワイズテーブルのコーポレートサイトの財務情報のPDFには
簡単に記すと、
ショコラ ドゥ アッシュは当社が出店したもので、
(株)アーシュツジグチとの間で締結した
「基本契約書」、「営業依託に関する覚書」
に基づいて運営されている。
商標はアーシュツジグチが所有しているが、
当社が10年間の独占使用権を得ている。
どうみても、辻口さんがワイズテーブルのオーナーでないかぎり、
ショコラ ドゥ アッシュは辻口さんの店でないのは明白です。
どうして、「提携しているだけ」と
正直にはっきり言わないのか私は不思議でならないのです。
そしてこの「アーシュ・ツジグチ」なる会社と、
「モンサンクレール」両社の会社謄本をとって、
私は更なる不思議な事実を知ったのです。
両社とも辻口さん本人が代表者。
母親(なぜか姓が違う)、弟、妹など
身内ですべて固めた役員構成になっていて、
洋菓子や飲食店の経営が目的の主体ですが、
アーシュ・ツジグチの方は、
結婚仲介、コンサル、カルチャーセンター経営、
インターネットショッピングモール
などの目的が付加されております。
不思議なのは会社設立年。
「(株)モンサンクレール」は
1997年と「クープ ド モンド」で個人優勝した年(29歳)に、
翌年自由が丘に「モンサンクレール」をオープンするために
造った会社のようですが、
ショコラ ドゥ アッシュの商標権をもつ
「(株)アーシュ・ツジグチ」は
現在移転していますが同じ自由が丘で、
昭和62年、つまり1987年に設立されているのです。
なんと、モンサンクレールの10年前です。
設立当時、辻口さんは若干20歳のはず。
彼のプロファイルでは、18歳くらいからお菓子の修行を始めて、
1990年に「全国洋菓子技術コンクール」 優勝が
公でのデビューのはず。
彼の学歴を詳しく知りませんが、
コンクールに優勝して有名になって
スポンサーを見つけて店舗を持って
実家「紅屋」を再建することが狙いだったはずですが、
その前、まだ卒業して数年のまったくの駆け出しの身で、
既に変な会社を造ってしまっていたということになります。
コンクールにも優勝できるかどうかわからない
修行に明け暮れていたはずの時期での会社設立。
移転はしましたが謄本からは社名の変更は読み取れませんので、
「ツジグチ」という単語が入っている社名は
辻口さんもしくは辻口家の名から由来していると推測できます。
まだどうなるかわかならい修行時代の一介の若者に、
資本を提供して会社を設立させたほど目利き、
理解のあるスポンサーがいるのだろうか、
それとも既に出資できるほどの資産を辻口さんが持っていたのか、
親戚が作ったのか、まったくの謎の会社であります。
ジャーナリストを名乗っているのですから、
このような不可解なことをたまには取り上げて
追求してもらいたいものです、犬養裕美子さん。
自分の会社の経営なのでしょうが、
和菓子からバウムクーヘン、デニッシュまで扱う
多店舗展開は何を急いでいるのか。
端でみていても、あまりに性急の事を急いでいるように見えます。
彼自身の賞味期限が短いことを彼は自覚しているのかもしれません。
しかし、来年には故郷・七尾に
「辻口美術館」をオープンすると言っていますが、
かなりの勘違いをしていると感じるのは私だけではないでしょう。
相当な「自己顕示欲」の持ち主のようですが、
パリなど海外進出も狙っているそうですが、
東京でちょっと当てた和食屋が京都へ進出するような
無謀なことであると私は考えます。
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