自腹ゆえに本音、愛するがゆえに辛口。
友里征耶さんの美味求真

第301回
店名を明かさない店だったの?シェフス

新宿御苑近くにある、
割と昔から知る人ぞ知る中華料理屋であります。
山本益博氏の「ずばり、この味」でも、
「上海蟹みそチャーハン」に注目、
店名から住所、連絡先まで掲載されていました。

ところが最近のグルメ雑誌では
「都内某所」、「匿名希望」として
神秘性を持たせて登場してきています。
私の記憶にある「Pen」では、
シェフは、6歳の時に
「オメガ」のストップウォッチを父親から買ってもらい、
おいしいゆで卵の調理時間を割り出す道具として使用。
なにやら、上流社会にだけ許されたエピキュリアンの道を歩み、
「蟹は生きたまま、それもミソだけ食べるものと、
子供の時には思っていた」とあるのです。
主人は、かなりの環境で育った
一般とはかけ離れた金銭感覚の持ち主のように紹介されています。

しかし、この店を以前から知っている客は、マダムや主人が
そのような環境の下におこした店だと思っているのでしょうか。

実は4年ほど前の冬、
親しい家族を招いてこの店を利用したのですが、
私だけではなくゲスト側のご家族も
マダムの接客に腹をたてられた嫌な出来事がありました。
記憶から抹消していましたが、
この匿名希望の店の外観写真をみてよみがえりましたので、
記憶をたどって現地へ確認に行ってみますとやはりドンぴしゃり。

写真では結構小ジャレた外観、内装ですが、
記憶では内装、接客とまったくの街場の中華。
確かに、事前予約の上海蟹は「中国飯店」系とは違う大きなもの。
そして値も高い。
しかし、お勧めといわれた上海蟹づくし、
例えば「上海蟹トーチ炒め」や「上海蟹豆腐炒め」のオーダーを
マダムは、はなから受け付けません。
メニューにちゃんと載っているのにです。
「食べやすい他の料理が良い」とのこと。
食べにくいか食べやすいかは、
同じような料理を食べた経験がある客の判断のはずです。
やっとのことで、
子供たち用に「上海蟹ミソチャーハン」を一人前頼むことが出来、
あとは、上流階級出身の料理人のマダムに勧められた、
クラゲ、シュウマイ、トマトの煮込み、のほか、
魚や肉など何の変哲もない料理を食べきりました。

そして、すべて食べきったあと、
我々8人は、まだ足りなかったので
上海蟹のトーチ炒めや豆腐炒めを頼もうとしたら、
マダムの一言は「売り切れ」です。
知人から上海蟹づくし料理を推奨されての訪問でしたが、
この一見を余りに差別するマダムの態度。
それでは「上海蟹ミソチャーハン」を2人前追加しようとしたら、
「1つで充分でしょう」。
これにはゲストも怒りました。
「食べられるかどうかはこちらの判断だ。
僕達はお腹がまだ減っている」
にマダムは
「それでは麺類を出します」
どうしても、我々には上海蟹系ではなく、
売れ残りそうな他の食材の料理を出したかったようです。

「食べきれない」のではなく、
「上海蟹トーチ、豆腐炒め」や「上海蟹ミソチャーハン」を
いくつも頼まれると、
客が他の料理を食べてくれなくなるのを
避けたかっただけのようです。
どうせ一見だから、
余りそうなものを出してしまおうということでしょうか。
中国と日本は違うのかもしれませんが、
上流家庭で育った料理人のマダムにしては、せこい発想です。

常連とみえるグループには、
後からでも上海蟹づくしの料理が人数分でていたようで、
量に限りがあったわけではないようです。
8人いるのですから、せめて数人分を出しても損はないでしょう。
「食べにくい、食べきれない」などと詭弁を弄せず、
「限りがあるから」とか言ってうまく断ればまだ納得します。

旬の食材を優先せず、
あまりオーダーのでない定番料理を押し付けてきた店。
マダムのやりとりからも
客側へのサービスといったものを感じません。
ゲストが不機嫌になり、
大人4人、子供4人で10万円近くでしたから、
「もう来る事はないだろう」と店を後にしました。
確かに一口だけ食べられたミソチャーハンはおいしかったし、
他の料理も普通のもので悪くはないと記憶しているのですが。

この手の店ではサービスに期待するな、とよく言われますが、
雑誌に書かれていた
「上流社会で育った料理人」の響きがむなしく感じます。

それほどの店だったのか、いつの間にか
神秘性をだすような営業形態に変更しているところに、
マダム同様、この店の料理人のしたたかさを感じました。


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2004年5月11日(火)

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