第111回
料理評論家、フードジャーナリストの習性・実態 その10
友里への批判・責任追及の前に、自分たちの責任は?
最近、再びある雑誌から取材がありました。
拙著の反響から、料理人・料理評論家が立腹しているので、
両者の主張を取り上げて今後新しい形のレストラン、料理評論が
生まれてくるのではないか、との
切り口でまとめるということでした。
取材に回答しなくても、
料理人や評論家の主張を載せて記事を掲載するということなので、
一方的に編集されるのは不本意と考え、
取材に答えることにしました。
外堀を先に埋めてからの取材交渉です。
きっちり反論も加えて回答できたと自負しております。
このコラムがアップされる頃は、既に発売されていますから、
またまた、私の回答がボツになっているか、
端折られているかははっきりします。
編集者側の意図に合わず、ボツっていたら、
また料理人や評論家に都合のいいように割愛されていたら、
全回答をこのコラムに開示することを考えています。
ここで気になったのが質問内容です。
「・・・はずである」、「・・・ではないか」といった
断定していない文章は責任逃れ。
拙著・このコラム・日刊ゲンダイとネタが重複している。
拙著の影響で客足が落ちた責任をどう考えるか。
など料理人や評論家から聞いてきた批判をもとにした
質問が主体でした。
ネタの重複は読者や依頼元からのクレームではないので、
大きなお世話。
「・・・はずである」、「・・・ではないか」といった
文章形態は、逆に推定しているとはっきり開示しているわけで
責任逃れではない、という趣旨の回答をしましたが、
粗探しが多いのにはあきれました。
既に雑誌編集者の軸足が彼らの方へ置かれていると
受け取りましたが、きっちり反論を含めて回答しておきました。
私がその際、強調したのは
逆に彼らの責任はどう考えているかということです。
ジャーナリストがその店の実態と関係なく不必要に煽って、
店を来訪した一般読者を落胆させ続けている「責任」、
その無駄な支払いに対する「責任」、
いかにも料理人が真摯に客の満足を考えているかのような
記述をしていた店が、「客追い出し」を頻繁にしていた、
芸能人を優遇するため、
定員オーバーしてカウンターに無理に突っ込んできた、
という事実に対する「責任」、
読者の食べられない「特別料理」を「特別待遇」で食して論評し、
読者の料理店選択におおいに誤解を与えている「責任」、
店側が客を客として扱っていない、
金儲けに走りすぎている「責任」はどう考えているのか。
責任を追及する場合も、一般読者側にたつか、
旧来の店・評論家側に立つかで、大きく変わってしまいます。
要は、料理人・評論家と一般読者・一般客の
どちらを一番、大事に考えるか、ということではないでしょうか。
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