第55回
料理評論家、フードジャーナリストの習性 その3
飾りすぎの表現、難しすぎる語彙、結果さっぱりわからない文章
問題点を追求しない、御用料理評論家、フードジャーナリストは
普通に書いたならば、一つの店の紹介に
多くの誌面を割くことが出来ません。
古い言い回しで恐縮ですが、店のバックアップ軍団である彼らは、
店名、住所、その他店の情報、メニューの一部、
料理人の経歴や一言、を書いて
写真の1枚でも付けたら終わってしまいます。
取り上げている店の違いはあるかもしれませんが、
現在増殖した彼らの書いた紹介文や本は、
誰が書いてもそんなに違いがでないのです。
コンセプトが「褒める」に統一され、
料理人が言う経歴や店のPRを載せるだけですからね。
違った切り口で掘り下げることを拒否し、
ひたすら今の職を長期的に続けていくためには、
店側と妥協して手を結んでいかなくてはなりません。
実態を暴く、悪いところを指摘する、
不味い料理・凡庸な料理は褒めない、なんてことを
書きつづけて行ったら食べていけないくらい、
ある面ではこの業界は懐が狭いようです。
しかし同じ業界の中でも、
彼らは生き残っていかなければなりません。
同業者とどこかで差別化していかないと、
埋没してしまう危険があります。
紹介文や著作で最近目に付くのが、
この飾りすぎの文章や、難しい語彙を使いすぎた文章です。
本来ならば、いかに読者に簡単に
事実や自分の考えを伝えるかに重点を置くべきなのに、
豊富な語彙を自慢したいのか、言い回しの妙を見せたいのか、
結果さっぱり何をいいたいのかわからない文を書く人が多い。
その典型は、「横川潤」氏でしょう。
イタリアン関係の本などを読みましたが、
私の能力が足りないからでしょうか、難しい語彙だけが
文章から乖離してしまって、
何をいいたいか読み取ることが難しいものでした。
他の人もだいたい、無理に料理を褒め、名人といって
料理人を担ぎ上げ続けるわけですから、飾りの多い、
言い回しの多い文章になってしまっています。
元来料理評価は、値段の割にうまい、まずい、
サービスが良い、悪い、性格が良い、悪いなどを
自分のポリシーで判断して述べるものだと思っております。
豊富な語彙、修飾語、オペラなど他の芸術の知識・能力は
あったほうがいいでしょうが、一般読者のためには
店側に迎合することなく、
真の料理人の姿を追及する姿勢のほうが大事だと私は思うのです。
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