たとえば、台湾や香港に夫婦連れで旅行に行こうものなら、向こうは奥さんはもとよりのこと、場合によっては家族が総出で、ご馳走をしてくれる。奥さんが先頭に立って観光案内から買い物の相手までつとめてくれる。一般に外へ出て働くのは男で、女は家にいることが多いけれども家計の実権を握っているのは大抵が女性である。その一家の大黒柱がわざわざおでましだから、盛大に歓侍をするのは当たり前だし、それがまた社会的通念に合ったもてなし方なのである。
一国の文明の水準がどうなっているか測る尺度は、(1)何を食ベているか、(2)どんな娯楽を亨受しているか、(3)女の地位はどうなっているか、の三つであると、かつて北京大学の校長をやった辜鴻銘がその英文の著作『ザ・スピリット・オブ・チャイニーズ・ピープル』の中で、論じている。辜鴻銘は、芥川龍之介の『支那遊記』に出てくる「南はペナンで生まれ、西はエジンバラ大学に学び、東は日本婦人を娶って、北は北京に住み」、自ら「東西南北」と号したインテリ奇人である。民国当初、トウトウたる欧化の流れの中にあって、わざわざ褞袍をまとい、弁髪を結って伝統思想の擁護にまわった保守反動派のチャンピオンである。ある時、汽車の中で、イギリス人が戯れに彼の弁髪をひっぱって「豚のシッポ」と嘲笑したら、すかさず相手のネクタイをひっぱりかえして「犬の首輪」と流暢な英語でやりかえしたという逸話も残っている。
この老人にかかると、中国のお金持ちたちが何人も妻を娶り、妻妾ともども同じ屋根の下に暮らしているのも、「一ぺん手をつけたら、一生面倒をみる美風である」と言って正当化される。道端で拾って一夜明けたら、また道端に捨ててかえりみない西洋人に比べたら、どちらが責任感をもっているか、といった議論が堂々とまかりとおるのである。
このデンでいけば中国の女性の家庭内における発言権が強いのも、これまた中華料理の水準の高さと相まって、中国文化の誇りであると言うことになるのかもしれない。 |