私は、三十何年前、香港に住んでいて、自分の持ち家をイギリス人の軍人夫婦に貸したことがあるが、嫁さんの方が何をやるのにも、いちいちご亭主の意見をきき、私たちと話をする時も、「マスターが、マスターが」とくりかえすのを見て意外に感じたことがあった。私が東京の大学にいた頃、小説本などで教えられた先進国の女尊男卑の気風とはかなり違ったものだったからである。
アメリカ映画に出てくるような、西部劇のヒロインに至っては、乗合バスに乗る時も、旅籠屋に入る時も、まるでレディのごとく丁重に扱われるが、恋の掛け引きが終わって女房におさまると、途端に召使のように働かされる。アメリカの離婚裁判の報告など見ていると、亭主に暴力を振われて満身創痍といったケースもよく出てくる。
あれこれひきくらべると、西部劇に出てくる女は、ゴールド・ラッシュの時分、カリフォルニアあたりでは女が欠乏して稀少品扱いを受けたせいであって、とり立てて、女尊男卑の気風があったわけではないらしいことがわかる。
女は大事に扱われたというよりは、「こわれ物、注意」と荷札をつけられたと考える方が正しく、従って、こわれてもかまわないと思われるようになると、かなり乱暴な扱いを受けるようになる。西洋の文明の中における女は、必ずしも、一人前の扱いを受けていないことがわかるのである。
そうした目で見ると、日本では一般に、亭主関白が流行し、中国人の社会では、カカア天下が天下の風潮になっているように見える。これとても、家庭によって、また夫婦間の勢力関係によってかなりの差があるが、中国人の男性たちが鞠躬如(きつきゅうじょ)として、奥様にかしずく有様を見て、「何か弱味でも奥方に握られているのですか」と日本人の男性たちは、皆、驚きあきれてしまうのである。

←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ