ではお金もたっぷりあって、時間もたっぷりあるような生活が理想的かというと必ずしもそうとは言えない。お金とヒマと両方持っている人は、自分でお金を稼いだことのない人にきまっている。親から財産をもらったとか、どこからかお金がころがりこんだという人は、金運には恵まれているかもしれないが、理財の才能に恵まれているとは限らない。
「一年三百六十五日働いているのは日本人だけですよ。ヨーロッパの貴族は午前中、出社してきて、午後からはもうゴルフかクリケットに出かけます。それも一年のうちの半分だけで、あとの半分はアフリカやインドに鉄砲打ちに出かけていますよ」
とヨーロッパの金持ちの生活ぶりについて説明を受けたことがある。もし本当にそうだとしたらヨーロッパの支配階級はいかにも優雅な生活を送っているように見える。しかし、これは経済社会にさほどの変動のなかった「古き、よき時代」の話であって「技術革新はとどまることを知らず」「国際競争も激甚をきわめている」昨今、そんなことをやっていたら、たちまち左前になってしまう。
現にフランスやイギリスでファミリーの支配する名門企業が続々と没落している事実がこのかんの事情を物語っている。
これに反して産業界で優位に立とうと努力している人々は自分の事業のためにあらん限りのお金も注ぎ込めば、あらん限りの時間も注ぎ込む。だからお金はいくらあっても足りないし、時間もいくらあっても足りない。しかし、足りないづくしであっても、そういう状態に身をおくことは、心理的には充実した状態になるから、むしろ満ち足りた人生ということができよう。
これに比して、お金をたくさん持っているのに、ヒマをもてあますということは、生存競争の戦列からはずれてしまったということにほかならないから、必ずしもしあわせな状態ではないのである。
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