自分を売り込む決定的五分間
さて、本のタイトルなどは短い時間で勝負をするホンの一例にすぎないが、誰でも知っている最も典型的な例はテレビのコマーシャルであろう。テレビのコマーシャルは五秒から十五秒で勝負をする。コピーライターとか、スタイリストとかいった新商売が脚光を浴び、そういう人たちが集まってチエをしぼる。そういう人材を養成する商売がまた商売として成り立つようになる。
その原因はといえば、テレビやラジオなどの媒体で、ある時間帯を占領しようと思えば、恐ろしいほどお金がかかるからである。「時間がお金であること」の極致は、テレビのコマーシャルにつきるといってよい。
ところがテレビのコマーシャルが寸秒を争う貴重なものであることのわかる人でも、時間にお金を払わないですむ場面になると、途端に「時間が勝負である」ことを忘れてしまう。
たとえば男が自分を売り込む決定的瞬間は、テレビのように五秒か十五秒とはいわないにしても、やはりホンの三分間か、五分間である。就職の時の面接時間がそうだし、重役会議における発言時間がそうだし、議会における質疑時間がそうである。また男と女が恋におちいるかどうかのきっかけがそうだし、上役に認められるかどうかもそうだし、小説の応募原稿を書いて当選するかどうかの分かれ目もそうである。
今から三十年も前になるが、私が香港に住んでいた昭和二十八年に、自分の実力をためそうと思って、「龍福物語」という百枚ばかりの小説を書いて、香港から「オール新人杯」という「オール讀物」誌の文学賞に応募したことがあった。九百何十篇も集まった応募原稿の中で最後の五篇に残り、五人の審査員の中、尾崎士郎氏と小山いと子氏が最後まで推奨してくれたが、他の三人の審査員に反対されて、当選しなかった。しかし、最初に応募した作品が、九百何十篇の中から最後の五篇に残ったのだから、私としてはもしかしたら、自分にはこの方面の才能があるかもしれないと妙な自信を持つきっかけになった。どうして最後の五篇の中に残ったのか、文藝春秋社の友人が冗談まじりにいったところによると、
「川端康成とか、丹波文雄とか、坂口安吾とか、プロの作家が使う満寿屋の原稿用紙に書いていたから、それが下読みをする記者たちの注意をひいたんだ」そうである。
「こいつはひょっとしたら、誰か名のある人が違った趣向で書いたものかもしれないぞ。でないとしても、その人たちと縁のある人の作品かもしれないぞ」と思わせたかどうかはしらないが、今と違って日本人が滅多に海外に行かなかった時分に、香港から、しかも中国人名前で、応募原稿が届いたというだけでも、あるいは、演出として、雑誌記者たちの注目をひく条件を充分備えていたといえるかもしれない。
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