人生を楽しみ、豊かにすごすために

第37回
華僑の不動産ビジネスの
真髄を理解できなかったヤオハン

日本の地方の一スーパーだったヤオハンが、
当初香港に進出したのは、
郊外のまだまだ開発途上の場所でした。
しかし、ヤオハンというスーパーが開店し、
生活が便利になり、香港の中産階級が急速に流入してきて、
事業が大成功したのです。
ただ、人口が増え、その地域の不動産価格が暴騰すると、
ヤオハンが借りていた店舗の賃料も大幅に上がり、
事業が成り立たなくなり始めました。
そこで、ヤオハンは
スーパーの店舗スペースを賃借して経営するのでなく、
自ら不動産を所有して
スーパーを経営する形態に移行して行きました。

香港だけでなく、
経済発展が初期段階にすぎなかった中国へも
同じ形式で不動産開発+デパートという
不動産の価格上昇にかけた
ある意味、小売事業というより、不動産開発事業という
バブル経営に入っていたのです。

経営者の和田氏は、
香港一の大財閥のトップ李嘉誠と交友を結び、
HSBC会長宅であった香港島の頂上に位置する
香港で最高の住宅を購入し、
日本人の香港・中国ビジネスでの成功者として祭り上げられ、
1990年代初頭わが世の春を過ごしていました。

しかし経営の実態は、
こうした不動産開発は全て借り入れで行っていたために、
いざ日本の経営が厳しくなり、不動産価格が下落すると、
借り入れ比率が高かったために銀行から返済を迫られ、
あっという間に資金繰りが回らなくなり倒産してしまいました。
不動産価格が下がる局面での高い借入比率は
すぐに命取りになる典型と言ってもいい失敗例と言えるでしょう。

不動産価格が大幅に下落し、悲壮感が漂う中で、
果敢に不動産投資に向かっていく資金力と勇気が、
不動産投資で大成功する秘訣なのです。
その為には、キャッシュは全ては使い切らずに持っておく、
いざというときに
銀行から借りられる体力をつけておく事が大切なのです。


←前回記事へ

2007年2月12日(月)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ