第181回
儲かる骨董−実行編
14、蔵で熟成本物の資産
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石山切―紀貫之
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厚い土壁の中はヒヤッとして
夏でも蔵内はほのかにカビ臭い。
冬は外より幾分温かく、中の物を守ってくれる。
小さな窓から入る光は
古い時代へタイムスリップしたように内部を浮かび上がらせる。
かつて蔵の中には
何も大事な宝物だけが入っているのではなかった。
生活の様々な道具や季節外れの着物もある。
代々伝えられた茶道具や軸物。
大切なものは一番奥にしまわれている。
中には物騒な火縄銃や刀まで、何でもしまいこまれていた。
そんな蔵がいつ頃からか取り壊され、
安物の建物に変わっていった。
一種のブームと言ってもよいほど次々壊され、
どこにでもあった蔵が町から消えてしまった。
この頃から日本人は気が短くなったように思われる。
ビジネスにも遊びにもスピードが一番。
遅いこと、時間を費やすと言うことは悪
とさえ考えるようになった。
ビジネスにおけるコスト意識が
人々の美意識になるほど、日本人の生活は変化したのだ。
だから孫子の代まで長持ちするような家具より、
備え付けの家具のほうを好むようになっている。
家具も家も30,40年持てばいいほどの発想しか浮かばないので
物凄い浪費をしているのに気付かない。
今の私ははるか以前の祖先があって
これから先もまたずーっと続いていくという思いが欠けている。
自分の代だけという考えから抜け出さなければ
本当の意味での安定した経済的基盤が築けないのだ。
そこを考えるというのがこの蔵の意識だ。
昨今殆どすべての大切な資産は
不動産、現預金、株という
蔵の中にしまわなくても良い姿に変わってしまった。
いわゆる資産もサラリーマンからして横一列なのだ。
これはこれで時代の移ろい、仕方のない面もあるが、
これだけ平均化された今日の日本で、
もしハイパーインフレでもなれば果たして持つのだろうか。
もう蔵はない。
戦争に敗れた時、
蔵の中からいろいろなものを取り出し売り食いしたような
換金性のある資産を殆どの人は持っていない。
代々伝えていくという家族を大切にする蔵の意識。
資産として骨董を持つ意味を考えても良い時代が、
そこまでやってきているのではないだろうか。
私が「どうらくだ」と言われ続けながら
幾つかの骨董を収集しているが、
その中の一つでもよい。
孫子の代に値打ちが出れば十分に元が取れる。
その確率はきわめて高いのだ。
儲かる骨董、考える骨董である。
資産を蔵で熟成させよう。
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