「骨董ハンター南方見聞録」の島津法樹さんの
道楽と趣味をかねた骨董蒐集の手のうち

第180回
儲かる骨董−実行編
13、三井三菱財閥を蘇生させた蔵

昭和3年某家売立目録


一つ戦前までの骨董界について振り返ってみよう。
僕の手元に多くの名家売立目録がある。
目録には誰でも知っている大々名から、
著名な財閥家の名前さえ見える。
何故この頃に集中して名家の売立があったかというと、
昭和初期から10年ごろまでの日本を襲った強烈な不況のせいだ。
大名家や豪商などは江戸、明治を通して蓄えていた美術品を
このとき手放したのだ。

膨大な骨董、美術品が蔵の中にしまいこまれていたが、
それを売って彼らは深刻な不況を乗り越えている。
骨董を売った資金を新たなエネルギーにして、
再生した会社や個人は数知れない。
この時代には美術骨董品が不動産や株、宝石などより
はるかに手堅い資産として機能したのだ。
こんな現象は何も大名や豪商だけでなく、
地方の庄屋や小金持ち階級も同じだ。
そこにも波が押し寄せ小規模な骨董売りが見て取れる。
図録の売上金額を集計すると膨大な金額になる。
そんな大きな取引が
不況の中に生まれるのはやや疑問に感じるが、
どんな時代になっても美術骨董の売り手買い手は存在する。

たとえば昭和のはじめ頃の不況時には、
それまでの古い支配階級から新興実業家が台頭し始めた。
彼らは美術品を次々と買い集め
その時収蔵された作品は
現在も著名な美術館として生き残っている。
電力王、松永安左エ門や、益田鈍翁、
あるいは鉄道で産を成した多くの人たちである。

第二次世界大戦で国が敗れ
日本人は美術品を振り向く余裕がない時代でさえ、
アメリカやヨーロッパのコレクターが来日し、
日本の古美術品を買いあさっている。
骨董品を売ったその資金でいち早くビジネスが興されたり、
会社が蘇生されたりしている。
その原動力になったのが蔵なのだ。


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