第111回
商品学(パキスタン編)
カラチ・アフガンの涙―雑貨仕入地ナンバーワン
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アフガンの涙〈イメージ〉
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僕は1985年に始めてカラチに入地、
以後何回かこの町を訪れた。
幾度目かの旅の途中、
前回記したザイナブマーケットの
とても面白い一角に足を踏み入れた。
今我々の周りには、
インドや東南アジアの雑貨が山ほどあふれているが、
これらも昨今少しずつ値上がりし、結構高くなってきている。
それに比べてパキスタンは
今も当時と同じように人件費などが非常に安いので、
結構掘り出しができる国だ。
バザールの一角にある20軒ほどの店に
アフガニスタンの少数民族の衣装や、
アクセサリーなどの銀製品が山盛りにして並べられていた。
それらは工房でアーチストが作った上品なものではなくて、
つい先日まで指や足、腕にしていたものを
抜き取って並べいるような生々しいものだった。
銀のブレスレットには
大きなラピスラズリや赤瑪瑙がはめ込まれている。
ペンダントトップにはカットに問題があるが
きれいなエメラルドがきらきらと輝いていた。
店の親父が腰掛けていた椅子を引っ張ってきて
台の上からしっかり売れ筋の商品を探した。
カラチ商人は結構根性ありで、
僕が椅子を引っ張ってもがんばって座っているので、
がたがたゆすって取り上げた椅子だが、すわり心地が悪い。
覗き込もうと前屈みになると、ギシギシなり不安定だった。
親父に汚れたガラスを拭かせて、
日本人に向きそうな品物を選んだ。
中に長いネックレスの出来のよいものがあった。
ひとつずつばらすと
ペンダットトップが30個くらい取れると思った。
そのネックレスは一連5ドルだと言う。
ペンダントトップはひとつ5000円くらいで売れると読んだ。
そのあたりの店でざっと2000ドルほど買いつけたが
これはかなり儲かった。
品選びも終わり、振り向くと所在無げに店主が立っていた。
「このペンダントやブレスレットどこから持ってきたの?」
とたずねた。
「アフガンからです」と心なしか少し気の毒そうに言った。
お祖母さんから母親へ、娘にと受け継がれ、
身に着けていた装飾品。
それを難民キャンプで食料や水に変えているようだ。
エメラルドの緑の光は
まるでアフガンの女性の涙のように見えた。
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