第80回
商品学(ミャンマー編)
ミャンマー事情―チーク買占の話
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パガン遺跡
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二十数年前、ビルマにはじめて足を踏み入れた時、
この国はなんと貧しいのだろうと思った。
電球は薄暗く、時々瞬きがあった。
電圧が一定していないのだ。
ヤンゴン一の高級ホテル、ザ・ストランドに泊まったのだが
スタッフもまるでやる気がなかった。
コーヒーを注文しても紅茶が出てくる。
そのくせチップだけはしっかりと大きな目で要求してくる。
部屋の中は湿気だらけ、ベッドなど黴臭かった。
僕はチーク材を購入する件で農林大臣と会う約束をしていた。
昼過ぎ、ホテルの前に
めちゃくちゃ大きくてボロボロのキャデラックが到着した。
スターターキイが無く
運転手はコードをショートさせてエンジンをかけた。
フィリピンのタクシーの方がよほどましだった。
30分ほど行くと、広い林の中に農林省のオフィスがあった。
応接室に案内されたが、お茶一つ出るわけでもなく、
偉い大臣に会いに来たというのにほったらかしにされていた。
しばらくすると5,6人の小柄な一団がやってきた。
中の小太りの人が農林大臣だった。
彼の服装や顔つきは
その辺の人たちと全く同じだったのでびっくりした。
今回の訪問はある人の依頼だった。
骨董をやっていると結構いろんな人脈があって
ミャンマーの農林大臣ともすんなりと会えたのだ。
依頼された用件というのは
ミャンマーにある最高級のチークを買うということだった。
「10年後だったらいいです」というほど
ミャンマーの最高級のチークは引き手あまただったのだ。
まとまった金を袖の下で使えば
2,3年後には売りますよ
と順番を上げてくれるような話だったが断った。
用件も終わったので、
僕は通訳兼見張り役の青年と
ヤンゴン市内のマーケットで骨董を探すことにした。
良いコネクションがあったので
まだ外国人が立ち入りにくい地方にも足を伸ばせた。
ヤンゴンの市場はエネルギッシュな活気に満ちていた。
また農村は農村で貧しいけれど落ち着いていた。
人々は飢えておらず、昔のままのゆったりとした生活を
楽しんでいるようにさえ見えた。
ヤンゴンには車や高級ブティック、レストランなど殆どなく、
近代化に取り残されている。
が、それはそれでよい印象を受けた。
新聞やテレビで報道される内容とは
大きく違っているように思えた。
農村の小川は美しかったし、
水遊び、魚釣りをしている子供達の明るい声が響いていた。
村々にはゴミも無く
今時の日本より遥かに目に触るものがなかった。
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