| 第149回しかして「オトナ」の実体は……
 私は率直な物言いを好む。気が短いから、婉曲にいわれたり、
 思わせぶりのしゃべり方をされると、イライラしてしまう。
 手紙もたいがい「前略」で始める。
 お決まりの時候の挨拶などはすっ飛ばし、
 いきなり本論から入る。
 だから、「貴社ますますご隆昌のことと……」
 といった常套句で始まる商業文は甚だ苦手だ。
 日本では「率直さ」は必ずしも美徳とは見なされない。あんまりズケズケものをいうと、
 たとえそれが正論であっても、
 「あんな言い方をするようでは、まだまだ青いな」
 などと陰口をたたかれる。
 嘴が黄色いとか、人間が練られていないとか、散々にいわれる。
 じゃあ、練られた人間とはどういうものかというと、
 できるだけ対立を避け、和合を尊ぶような人のことを指す。
 この種の人間は常に泰然としていて、
 周りからは「さすがにオトナですね」と一目置かれている。
 しかし意地のわるい見方をすれば、
 《腰のぬけたるを泰然といはば、腹のすきたるを毅然といふべし》
 (『緑雨警語』)ということだってあり得る。
 世にいう「オトナ」の実体は、
 妥協の中で生き永らえてきた
 無気力な人間のことかも知れないのだ。
 日本人は議論が苦手だ。テレビ朝日の『たけしのTVタックル』などを見ると、
 日本人の議論下手は、あと100年経っても変わるまい、
 とつい思ってしまう。
 とにかくユーモアとかウイットのかけらもなく、
 怖い顔して一方的に自分の意見をしゃべりまくる。
 反論されると青筋立てて怒り、
 相手を完膚無きまでにやっつけようとする。
 「和」を尊ぶ国民とはとても思えぬ、
 なんとも寒々しい光景なのである。
 私はことさら異を立てたりはしないが、議論の場では、できるだけ率直さを心がけている。
 時に相手の反感を買い、
 ささくれ立った雰囲気になることもあるが、
 しかたのないことだと思っている。
 摩擦を避け、つまらぬ和合をめざすよりは、数段マシだからだ。
 古代ギリシャの哲人たちのひそみに倣えば、
 議論は「正反合」の弁証法的な展開があって
 初めて実りあるものになる。
 互いに褒め合い、親和を築くことばかりに汲々としていては、
 会話も議論も成り立たない。
 私は「さすがにオトナですな」などと感心されるよりは、
 孤独なヤボ天を好むので、
 むやみに褒め合ったり妥協したりはしない。
 友だちがいないのは、たぶんそのせいだと思っている。
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