第145回
ダメなものはダメ
インテリというのは、
雨が降っても風が吹いても、その本質的意味あいは何か、
と考えているような閑人のことを指すのだそうで、
さしずめ私などはインテリの最たるものといっていい。
ものの役に立たず、
単純なことをつとめて複雑に考えようとする、
というのもインテリの性癖の一つで、
これまた複雑な細胞を有する
私のことを言っているような気がする。
しかし私は、
「ひとに迷惑をかけたわけじゃなし、
自分の身体を自分で売って何がわるいのよ!」
と開き直る売春少女を前にして、
「我われ大人たちは、
この娘に充分に答えるべき思想論理を持ち合わせていない」
などと深刻ぶって考え込んだりはしない。
やることはひとつ。
「生意気言うんじゃない!」
と、少女の頬を思いきりひっぱたくだけだ。
こうした状況下では、
私の複雑な脳細胞は一気に単細胞と化し、
口よりも先に手が動いてしまう。
そんじょそこらの駄インテリと違うところは、そこである。
駄インテリの多くはこう考える。
大人たちの買春があるから、少女たちの売春があるのだ、と。
一方で 巨大なセックス産業を認めていながら、
少女たちには純潔を期待する。
これでは筋が通らんだろう、と。
「援助交際」に代表される性の混乱は、
つまるところ大人社会の道徳的混迷を表しているに過ぎない……
などと熱弁をふるいだす。
駄インテリは、いつだって子供の肩を持ち、
子供が荒れるのは社会がわるいからだ、と考える。
売春行為を前にしても、
非は子供にはなくて大人にあると言いつのる。
しまいには、大人は子供たちの「魂の叫び」を聞け、
などとむちゃくちゃを言う。
一方、あんなキモチのいいものはない、
と少女たちは実に素直で正直だ。
私もそう思う。
キモチがいい上に、お互い幸せな気分になり、金にもなる。
これでは売淫はやめられまい。
会津藩の藩校「日新館」には、
《ならぬものはならぬ》
という教えがあったという。
そういえば旧社会党の土井たか子女史も
「ダメなものはダメ」との名言を吐いたが、
日新館の教えに相通ずるものがある。
そう、ダメなものはダメ。
理屈ではなく、売春はしてはいけないことなのだ。
子供に理屈を言わせてはならない。
連中はただ思いつきをしゃべるだけだ。
大人たちのやるべきことは、
「ダメなものはダメ」と頭ごなしに決めつけること。
問答無用なのだ。
おたかさんも、たまにはまともなことを言う。
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