誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第144回
魯鈍な舌

魯山人はふぐが好きだった。
美食の随一に挙げていた。
魯山人研究の第一人者である平野雅章は、
《一週間、十日ぶっ続けで食べるのです。
 さしも匂いのしない河豚が
 プンと魯山人のからだから匂うのです。
 そのくらい食べ尽くすのです。
 そして或る日突然、飽きがくる、
 見るのも嫌だと言う時がくると、
 そのものの味が分かると言うのです》
と、魯山人の狂気じみた一面を伝えている。

私は魯山人の何たるかを知らないが、
ものの味を知るには、食って食って食いまくるしかない、
とする彼の考え方には賛成だ。
「量」の蓄積を経なければ、「質」の本質に迫れるわけがない、
との考えからだ。
その伝でいえば、私にはふぐはわからない。
十日もぶっ続けで食べたことはないし、
濃い味つけで育った魯鈍な舌が、
ふぐの淡味を充分に理解し得ないからでもある。

台東区入谷に「魚直」というふぐの店がある。
といっても鉄筋ビルに生まれ変わった現在の店は知らない。
知っているのは、先代がこの地でやっていた
木造平屋のあばら屋のような店だ。
店は十坪あるかないか。
けば立った追い込み座敷にはちゃぶ台が数卓。
客たちは肩を寄せ合うようにしてふぐちりを頬張っていた。
「なかなか風流じゃないか」
などという客の一団があったが、なにが風流なものか。
土間はひび割れて陥没し、引き戸はいつだって波打っている。
ガラス窓だってようやく面目を保っているくらいで、
冬場には窓の隙間から容赦なく寒風が吹き込んできた。
まるで吹きっさらしだった。

しかしふぐちりは安くてうまかった。
とらふぐが当時千円札二枚で足りた。
元が魚屋で、体裁に気を遣わぬ分だけ価格を抑えたのだろう。
時々「肝を食わせろ!」と無茶をいう酔客があったが、
「バカこくんじゃねえ! うちは葬儀屋じゃねえんだ」
と気丈な老爺は取りあわなかった。
ふぐ毒は青酸カリの1000倍という猛毒。
それでもまだ、哀れ北に枕する人が絶えないという。

執拗に肝をねだる客には、老爺はアン肝を出してとぼけていた。
それでも
「親爺、舌が痺れた。医者ァ呼んでくれ!」
と大騒ぎするおっちょこちょいがいた。
どうやら、アン肝に添えたもみじおろしで舌が痺れたらしい。
「からきし意気地がねえ」。
親爺も呆れ顔だった。
江戸川柳に
《それほどに 命惜しいか ふぐもどき》
というのがある。
それにしても食えない親爺だった。 


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