第143回
高潔な芸術家などいるもんか
銀座に「きよ田」という寿司屋があった。
小林秀雄や白洲正子のごひいきで、
銀座で一番高い店といわれた。
この店には当代の名品がいっぱいあった。
壁には梅原龍三郎の小品がさりげなく掛かっていたし、
ぐい呑みや小皿に混じって
魯山人の徳利が当たり前のように置かれていた。
なかには数百万円もする逸品もあったが、
この店では瀬戸物茶碗のように、ごくふつうに使われていた。
北大路魯山人は、とかく評判のよろしからぬ人物だった。
傲岸不遜、大言壮語、おまけに女ぐせがわるかった。
食物史家で魯山人の内弟子だった平野雅章は
「非常に圭角の多い人だった」
と師のことを評している。
こづかれどつかれ、人前で面罵されたこともたびたびだった。
「くそじじいめ」と思い、
小刀で刺し殺し、共に死のうと思ったこともあったという。
それほどまでに愛憎の深い人間だったが、
魯山人の残した焼き物や書、絵画は、
なぜか人々を魅了してやまない。
その狂気じみた人格と、焼き物に投影された繊細な美意識が、
どうしても重ならない。
つい、その距離を思ってしまう。
私がこの連載コラムの中で、
荷風や藤村は人格低劣な男だったが、
残された詩や文章は美しいと書いたら、
読者から
「姪を妊娠させて東京へ逃げ、
その姪と実兄が極貧に喘いでいたときも
知らんぷりしていた(藤村のような)男は、
たとえ美しい詩を書き残したとしても、
人間として信じられない」
という趣旨のメールをいただいた。
当然の思いだろう。
しかし私はこうも思うのだ。
芸術家に聖人君子を求めるのはいささか酷ではないか、と
石川啄木は稀代の借金魔で、
友人の金田一京助などから借りた金を
せっせと芸者遊びに注ぎ込んだ。
また純粋無垢な詩を残して早世した中原中也は、
狷介な性情が災いし、
周囲の人間からは蛇蠍のごとくきらわれた。
『人生論ノート』を綴った哲学者の三木清は、
儒教的モラルからいえば嫉妬心のかたまりみたいな男で、
曖昧宿などを覗き見してはよく手淫をやっていた。
そういえば、寺山修司にも覗き見趣味があったっけ。
私は政治家の臍下三寸を問わない。
同様に芸術家の人格も問わない。
人格と作品は別物で、その作品に「美」があれば、
吝嗇のごとき好色のごとき、些々たるキズは咎めない。
自ら耳を削いだゴッホのような男に、
たれが高潔な人格者を期待するというのか。
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