誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第139回
哀しい世代交代

小学生のころは中学生がとてつもなく大きく見え、
中学生になったら、今度は高校生がはるか彼方の存在に思えた。
上級生がとてつもなく大きな存在に思えたくらいだから、
大人はそれこそ畏怖すべき存在、
絶対服従を強いられるべき存在であった。
それでもいたずら盛りの子供にとっては、
からかいの対象でもあって、怖い存在だからなおのこと、
彼らを出し抜いたときのスリルと優越感には格別のものがあった。

私たちはよくいたずらをした。
実家の目の前の農業高校(現総合高校)には豚小屋があり、
その豚がよく標的になった。
昭和三十年代に流行したおもちゃに「2B弾」がある。
爆竹を二回りくらい大きくした、
子供用のダイナマイトと呼ぶべきもので、
これに着火して爆発させると、
牛乳瓶くらいは軽く吹っ飛んだ。
事故が絶えないので、後に販売禁止になったが、
私の子供時分は駄菓子屋でふつうに売っていた。
マッチが要らず、石壁や木にこすり付けるだけで火がつき、
十数秒で爆発する。
私たち悪童はこの2B弾を、
昼寝でまどろむ豚の尻に突っ込んだのだ。
ああ、かわいそうな豚ちゃんたち!

豚の悲鳴を聞きつけ、
ものすごい形相で飛び出してくるのが
竹箒を持った学校の小使い(用務員)だった。
「来たぞ、みな逃げろ!」。
蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
昼寝中の豚ちゃんにはまことに気の毒であったが、
あれほど胸躍らされるいたずらはなかった。
私たちは必死になって逃げた。
年老いた小使いも執拗に追いかけてきた。
この追いつ追われつをいくたび繰り返したことか。
あの老爺にすれば、これほど憎ていなガキどもはいないだろう。
が、私たちから見れば、
大人はいつだって子供の世界の邪魔をする
理不尽な存在なのだ。

親も同様、絶対的に理不尽な存在なのだが、
その親が子の成長とともに、だんだん力衰えてくる。
齢を重ねると、次第に主客が入れ替わり、
ついには子供らを圧倒していたあの父や母が、
哀れな存在に思えてくる。
そして自然といたわりの気持ちが芽ばえてきたりする。
親子の力関係が逆転するのは、いったいいつのころからか。
親の存在を哀れに思うようになったのは、いつからであったか。
親を眼下に見るのは切ないものだ。
子供のように小さくなってしまった母。
あの気丈な母が、近頃は孫の顔を見ただけで涙ぐんでしまう。
世代交代というものは、哀しいものだ。


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