| 第136回正義と真実のひと……
 私は東映のチャンバラ映画で育った。千恵蔵と右太衛門の両御大もよかったが、
 橋蔵や錦之助もまたよかった。
 女優ではお姫様役の大川恵子や丘さとみがひいきだった。
 子供心に「この世には、こんな美しいひともいるのか」と、
 食い入るように見入ったものだ。
 それにひきかえ、悪役はどれも憎ていだった。
 一目で悪い人間だとわかった。
 善人はみな美男で、悪人は揃って醜男だった。
 たとえ善人づらをしていても、最後には裏切るのが常だった。
 悪役は斬られて死ぬ運命にあった。
 東映の悪役といえば山形勲、進藤栄太郎、原健策などというのが、
 飛びきりのワルだった。
 しかしワルはワルなりに礼節だけはわきまえていた。
 これは大映だが、たとえば千恵蔵の「多羅尾伴内」シリーズ。
 映画のクライマックスには必ずこの決めゼリフがあった。
 《ある時は老探偵多羅尾伴内、ある時は片眼の運転手、そしてまたある時は……。
 しかしてその実体は! 正義と真実のひと、藤村大造》。
 例の千恵蔵独特の、過呼吸症候群みたいな節回しでこれをやるのだが、
 周りを取り囲んでいる悪漢たちは、銃を構えながらも、
 主人公が最後までしゃべり終えるのを辛抱強く待っている。
 そしてしゃべり終わり、
 悪行の数々を暴露されて初めてのけぞるようにして驚き、
 「野郎ども、やっちまえ!」
 となるのである。
 私なら、長い決めゼリフが入る前に、
 いきなりズドンとやってしまう。
 昔の悪漢たちは、無邪気なまでに義理堅かったのだ。
 主役も「正義と真実のひと……」などと臆面もないことをいう。
 私は正体を失くすくらい酔っぱらっていても、
 このセリフだけは恥ずかしくて言えない。
 昔のチャンバラ映画は勧善懲悪そのものだった。見ているだけで、どんな行為が美しく、
 逆にどんな行為が醜いのか、自然と学ぶことができた。
 知らず知らずのうちに、
 この世のルール、正邪美醜のすべてが学べた。
 映画館は人生の学舎(まなびや)でもあった。
 あんなもの善玉悪玉の単純な二元論ではないか、
 と笑う者もあるが、単純で何がわるい。
 昔の親たちは、学問こそないが、理非曲直だけはわきまえていた。
 卑怯や臆病を憎む心を、子供たちに必死に植えつけた。
 しかし今時の親たちはそれを教えず、
 銀幕の悪役たちみたいにガリガリ亡者と化して、
 たとえ醜いことをしても豊かになったほうが勝ち、
 などと教え込んでいる。
 出でよ、平成の多羅尾伴内!
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