| 第106回「自分探し」より「仕事探し」
 青い鳥を探すみたいに、若者たちの間で「自分探し」が流行っているという。
 おかしな流行だ。
 鏡に映った自分の顔を穴のあくほど見つめれば、
 ほんとうの自分が発見できるとでもいうのだろうか。
 以前、ニート(NEET)と呼ばれる
 学業にも仕事にも就かない無就業者の話をしたことがあるが、
 彼らは判で捺したようにこういう。
 「希望する仕事が見つからない」
 「きっとどこかに自分を活かせる仕事があるはずだ」と。
 そんなものあるわけない。「自分」を活かせる仕事というが、
 ほんとうの自分とはいったい何者で、
 その自分が
 他に誇るべき何ほどのものを持ち合わせているというのか。
 口だけは減らぬ彼らは、きっとこういうに決まっている。
 「あなたの眼に映っているボクは、
 いかにも浅薄な感じの男で頼りなげに見えるかも知れないが、
 ほんとうの自分はそんなものじゃない。
 複雑な問題を考えもするし、高尚な話だってできるんだ。
 見た目だけで気易く判断しないでもらいたいね」
 実は、もっとましなほんとうの自分というものが別にあって、今、あなたの目の前に突っ立っている自分は仮の姿、
 ホンの一部でしかない、とこういうのである。
 若いころは、とかくこうした迷信に陥りがちになる。
 実はその自己肥大化こそ青春の特権というべきものなのだが、
 「もっとましなほんとうの自分」なんてものは幻想で、
 人間は見かけどおりのもの、それ以上でも以下でもない、
 と私はそのことをほとんど確信している。
 売文が私の生業だからといって、なにか気の利いた観念やら思想が
 最初から頭の中につまっているわけではない。
 それらを言葉巧みに表現しているのだ
 と勘違いしている御仁がいるが、それはまったく違う。
 頭の中に何か漠たるものがあって、それが何かわからない。
 わからないままに書いていくと、
 何やら目鼻がつき、くっきりした姿を現してくる。
 (そうか、俺はこんなことを考えていたのか……)。
 自分でも驚くことがある。
 表現とは概ねこうしたもので、書いてみないとわからない。
 頭の中で、「自分探し」を百万遍繰り返しても、
 ほんとうの自分など見つかりっこない。
 そんなものは最初から存在しないからだ。
 「自分」なんてものは仕事をこなしていくうちに
 自然と見えてくるもので、
 「自分探し」のあとに「仕事探し」では、
 順序があべこべなのである。
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