第107回
愚にもつかぬ話
イタリアで仕事をした時、
現地の人に
「日本人は何が楽しくて仕事ばかりしてるのだ。
金儲けしか興味がないのか?」
と憐れむような目つきで問いかけられたことがある。
別に寝食を忘れ、分刻みで働いていたわけでもないのに、
彼らの眼には異様なほどのワーカホリックに映ったに違いない。
向こうの人間は
「日本人は金の話しかしない」とよくバカにする。
ちょっとしたパーティの席でも、
日本人の顔はいつも閉じていて、他と容易に交わろうとしない。
言葉が不自由というのもあるのだろうが、
自分が主導権を発揮し、おもしろい話題を提供して、
一瞬なりともその場を盛り上げてやろうなどとは、つゆ思わない。
最初からそんな度量もないし覚悟もないのだろう。
恥ずかしながら、仕事の話をする以外は、
ただ漫然と酒を食らうしか能がないのである。
当然だろう。
日本語の通じる日本人だけのパーティであっても、
日本の男たちは会社の話と仕事の話に終始し、
歴史だとか芸術だとか、精神を昂揚させてくれそうな話題など、
これっぽっちも出てきやしない。
ならば女はどうかというと、
どこそこで流行の服を買っただとか、
あそこのイタリアンのランチはお値打ちだといった
愚にもつかぬことはしゃべれても、
知的諧謔にあふれた刺激的な会話など望むべくもない。
兼好法師は、世間の名利にあくせくし、
静かに落ち着いた暇もない人々に対して、
《金は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。
利にまどふは、すぐれておろかなる人なり》
(『徒然草』第三八段)
などと、老荘思想まるだしの説教臭い講釈を垂れている。
ああ私も、一度でいいからそんな負け惜しみを言ってみたかった。
宝は天に積めとはいうけれど、
これでなかなか聖フランチェスコのようにはまいらぬものなのだ。
物書きなど貧乏人の最たるものだ。
それでも本を出すたびに、「印税はどのくらい入るの?」と、
下世話な質問ばかり浴びせられる。
本の中身などはハナから関心の外で、心底がっかりさせられるが、
つまりそれだけ拝金主義が横行していて、
人間の価値が金のあるなしで量られている、ということなのだ。
金のない私は、金儲けの話など薬にしたくともできない。
で、しかたがないから歴史だとか芸術だとか、
愚にもつかぬことをしゃべりまくっては周囲を煙に巻いている。
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