第93回
カネとカオの交換
小倉千加子の『結婚の条件』によると、
結婚とは《女性と男性がもつ資源の交換》なのだという。
女が男に求める“資源”の最たるものは経済力で、
男が女に求めるそれは美人(カオ)で、
つまり「カネ」と「カオ」の物々交換こそが
結婚の本質なのだそうだ。
こういう身も蓋もない言い方は小倉の真骨頂ではあるのだが、
あまりに正面切っていわれると、
それが概ね当たっているだけに、さすがに鼻白む思いがする。
たしかに女性は結婚相手に対して、
「やっぱりやさしさと誠実さが一番ですよね」
などと表向きは“ええかっこしぃ”を装うが、
本音のところは傾城の“恋”と同じで
「金持ってこいがほんの“こい”なり」
といったところがある。
小倉の調べたところによると、
《妻と同じ収入しかないが家事を半分してくれる男と、
すごく収入があるが決して家事をしない男とだったら
どっちと結婚する?》
という問いかけをすると、
圧倒的に後者を選ぶ女性が多いのだという。
口先では「家事をしない男を夫と呼ばない」
などときれいごとを言っていても、
女の本音は「カネ」ばかりなのだ。
私は女性に対してハナから幻想を持たないので、
女の本音がカネであっても決しておどろかない。
女性の配偶行動からすれば、
生活力のある男に自分のタネ(子孫)を委ねたいと思うのは
当然のことだからだ。
つまり女は生物学的な意味において実に正直に生きている、
といえる。
私と結婚してくれた女(妻のことだが)はその点、
やや目測を誤ったのかも知れない。
生涯カネに縁がなさそうな男を選んでしまったからだ。
理想ははるか上にあったに違いないが、
ややとうが立っていたため贅沢はいってられない。
ここはひとつ葉桜になってしまう前に、
身近なところで手を打ってしまおう。
とまあ、ぶっちゃけた話、
そんな妥協が生じたのかも知れぬ。
一方、私の配偶行動の条件は、
「貧乏に耐え、頑丈で、よく働く少食の女」であった。
その点、妻は申しぶんなく、まことによく働いてくれる。
私の眼に狂いはなかったわけだが、
小倉のいう“資源交換説”としては
逆さまになってしまったようだ。
もしも男と女の双方が、カオではなくカネを求めた場合、
この資源交換説はどうなってしまうのか。
美人は三日で飽きる、という俗諺を信じる私は、
このことが妙に気にかかってしまうのである。
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