| 第94回女性の知的な会話
 どんなに物分かりがよく、進歩的な考えの持ち主であっても、男なら10人中9人までもが、
 「女子供の話を聞いても面白くないしな……」
 と思っているはずだ。
 しかし男は利口というより小狡いから、
 肚の底は気ぶりにも見せず、
 「なかなか興味深いお話ですね。
 男は相変わらずしょぼくれてますが、
 女の人は元気があっていいですな、ハハハ……」
 などと、おべんちゃらを言ってごまかしてしまう。
 へたなことを口走って女を敵に回すのも大人げないし、
 女を薄バカ扱いして
 家父長制時代の亡霊みたいに思われるのもバカげている。
 ここはお茶を濁すに如くはない、とまあ、そんなふうに考える。
 女性との会話に加わって、男が何より違和感と疲労感をおぼえるのは、
 話柄の貧しさもさることながら、
 会話そのものにスリルとスピード、
 知的諧謔といった刺激がまったくないことだ。
 もちろん男にだって
 精神を昂揚させるような知的会話など望むべくもない。
 が、そんな救いがたい男たちであっても、
 ひとたび女の会話に加わると、
 少しばかり上等な人間に見えるからふしぎである。
 つまりダメ男の会話がマシに思えるくらい
 女の会話は貧しく低俗だってことなのだ。
 このコラム連載の第1回目に、キャッチボールの話をした。キャッチボールの要諦は相手が捕球しやすいように、
 胸のあたりをめがけてテンポよく投げ返してやること。
 それは実は相手に対する“思いやり”なのだ、
 と勝手な注釈も入れておいた。
 相手がキャッチボールに馴れていなかったり、
 制球に難があったりすると、
 ジャンプして捕ったり、屈んで捕ったりしなければならず、
 態勢が崩れる分だけリズムも狂い、疲れも倍増してしまう。
 唐突だが、女性の会話は息の合わない者同士がやるキャッチボールみたいなものだ。
 相手の胸のあたりどころか、
 ボールはいつだってあらぬ方向へ飛んでいってしまう。
 ハナから相手に好球を投げ込む意志がなく、
 こっちも受けとめてやる気持ちがないのだから、
 そもそも会話のキャッチボールが成り立たない。
 お互いが勝手にしゃべりたいことをしゃべり、
 話のタネが尽きると、不得要領のうちに幕がおろされる。
 女の話には花は咲くが実はならない、
 という西洋の俚諺もある。
 何度でもいおう。
 女は同じ「種」などではない。
 別の星の生き物なのだ。
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