誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第67回
本を読む女 (その二)

どんな本を読んでいるかによって、
その人物像が知れるという話をしている。
その伝でいくと、愛読している雑誌から
人物像を推し量ることもできそうだ。
もっとも女性誌の企画は美容に
ファッション、恋愛、ショッピング、グルメ、旅が定番で、
どれも似たり寄ったりだろうから、あまり当てにはならないが。

いきなり『論座』とか『正論』を愛読してます、
なんていわれたらどうしよう。
並みの男ならひるんでしまうだろう。
へたをすると恋愛熱も急速に冷めてしまうかも知れない。
男は賢い女を求めはするが、賢すぎる女は苦手だからだ。
兼好法師の言い草ではないが、
《もし賢女あらば、それも物うとく、すさまじかりなむ
(もし賢い女がいたら、
それも親しみにくく興味のないことだろう)》
『改訂 徒然草』角川文庫ソフィア)となってしまう。

男が求める女の賢さは、
まことに勝手な物言いではあるが、
男の掌の上だけに許された賢さなのである。
こうしてみると、日本の男の女性観は
兼好法師の生きた600年前と少しも変わっていないことがわかる。

賢い女は親しみにくい、とは法師も口がわるい。
私は男女の性差を否定しないが、
それは人格や能力の差ではなく機能の差だと思っている。
その社会的な機能差を否定して、私も軍隊に入って共に戦いたい、
などと言い出すから話がややこしくなる。
女が隊長の部隊に、
進んで命を預けたいと思う男がはたしているだろうか。

登山家の田部井淳子は、大要こんなことを言っている。
「男性と山に登ってつくづく感じるのは、
 男と女では体の構造が違うということ。
 歩くスピードも岩に取りつくスピードも違う。
 つまり膂力[りょりょく]がちがう。それだけはどうやったって適わない」

人間、生死の境をさまようような経験をすると、
正直な発言が自然と出てくるものだ。
男と女とでは骨格も筋力も、はては興味関心、すべてがちがう。
男は女のおしゃべりや関心事を「くだらない」と一蹴するが、
だからといって女の全人格を否定しているわけではない。
互いにくだらないと思うほど「差」があるからこそ
魅力を感じ合えるのだ。
男と女は別の「種」かと思えるほど異質だ。
しかし何万年もの間、互いの不足を補いながら仲良くやってきた。
これからもそう願いたいのだが、
これって、差別的で遅れた考え方なのかしらん?


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