第66回
本を読む女 (その一)
《どんな物を食べているか言ってみたまえ。
君がどんな人であるかを言いあててみせよう》
これは稀代の食通ブリア・サヴァランの著
『美味礼讃』の冒頭に出てくる言葉である。
ではさっそくお言葉に甘え、
好きな食べ物を挙げさせていただくことにしよう。
キムチ炒飯にいか納豆、
くさやの干物にブルゴーニュ産ホロホロ鳥のロースト、
麻婆豆腐、ペヤングソース焼きそば、
マックフライポテト、チョコポッキー……と、
まことにとりとめがない。
さてこれをサヴァラン先生が聞いたなら、
はたして私が何者であるかズバリ言い当てることができようか。
フランス料理しか食べないフランス人相手なら、
ムッシュ・サヴァランの推論もさだめし生きることだろう。
が、和洋中にエスニックと、
当たるを幸い何でも胃の腑に押し込んでしまう
われら雑食性民族の人物像までは推し量ることはできまい。
世界中の食べ物をとっかえひっかえ食卓にのぼらせる民族なんて、
およそ理解の範疇を超えているだろうからだ。
サヴァラン先生のひそみに倣えば、
どんな本を読んでいるか、
ということも人物像の特定には有効かも知れない。
読書家であれば、本の背表紙をざっと見るだけで、
この人間がどんな思想にかぶれ、
どんなことに興味を寄せてきたか一目でわかってしまう。
幼稚な本ばかりなら、頭の中身も幼稚だろうし、
理屈っぽい本ばかりが並んでいたら、
頭の中身も相当理屈っぽくできているはずだ。
本棚に並んでいる蔵書は、
いってみればその人の精神の軌跡を記した
履歴書みたいなものだからだ。
学生時代、友人のアパートを訪ねたら、
本棚にはぎっしり本がつまっていた。
が、驚いたことにすべての本にはカバーがしてあった。
想像するに、
頭の中身がすっかり見透かされてしまうのを
怖れたのではなかったか。
カバーをしてしまえば、
頭の中身は永久にブラックボックスと化し、
手の内が読まれることはないからだ。
もしもあなたが密かに好意を寄せる女性がいたら、
「どんな本が好きですか?」とズバリ尋ねてみるといい。
彼女がどんな人物なのか、どの程度のおつむなのか、
およその見当がつくはずだ。
もっとも「ハイデガーの『存在と時間』です」
なんて答えられたら、
どうにも返答のしようがないのだけれど。
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