| 第62回スッチーの凋落
 スッチーというのもネッシーとかサッチーと同じ怪獣仲間かと思っていたら、
 スチュワーデスのことなのだそうだ。
 この国にあってはスチュワーデス
 (近頃はフライト・アテンダントなどと呼ぶ)は
 おつむの中身はともかく、美人でないとつとまらない、
 と長い間信じられてきた。
 現に私の小学校時代の同級生にも
 国際線のスチュワーデスになった女性がいて、
 お姫様役ばかりやりたがる目立ちたがり屋だったが、
 さすがに容姿だけは整っていた。
 「スチュワーデス=美人」とする私の中の常識が覆ったのは、初めてアメリカの国内線に乗ったときだ。
 髪をひっつめにした中年のおばさんが、
 化粧っけのない顔で「カヒー・オア・ティー?」
 と尋ねてきたのである。
 (エエーッ、うそだろ。こんなのありかよ?)
 中年のごくふつうのおばさんでもスッチーになれるという事実は、田舎者の私には新鮮な驚きだった。
 非美人(不美人ではない)がスッチーになってはいけないという法はない。
 ないけれど、ぜひともそんな法律を作ってほしい。
 何が楽しみといって、
 狭い機内で美人スチュワーデスと間近に触れ合える楽しみほど
 心ときめくものはない。
 身動きならぬ狭いシートに縛りつけられ、
 エコノミークラス症候群の不安におびえ、
 あまつさえ操縦桿を握っている見ず知らずの男に
 大事な命を預けているのだ。
 美人を眺めて心和むひとときがあってもバチは当たるまい。
 私はハナから美人鑑賞料も含めた上での
 バカ高い航空運賃と心得ている。
 そのささやかな楽しみすら奪われてしまったら、
 あの空の上にいったいどんな救いがあるというのか。
 スッチーは長い間、女性の憧れの職業の筆頭であった。が、時代の流れか、
 「昔スッチー、今女子アナ」といわれるように、
 近年はテレビ局の女性アナウンサーが
 スッチーを凌ぐ憧れの職業になってきている。
 なにしろ巷には女子アナ愛好会のごとき
 ファン倶楽部が目白押しで、
 『女子アナ完全バイブル』などといった専門誌まで出ている。
 それだけに民放キー局のアナウンサー試験は超難関とされ、
 数千倍の倍率すら珍しくない。
 スッチー人気は完全にお株を奪われてしまったかっこうだ。
 今後、スッチー人気低落とともに、
 非美人や不美人の採用が増えれば、
 機上でのストレスはますます高まっていくことだろう。
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