第58回
女の道 (その一)
日本の女たちは虐げられ損ばかりしてきた、
と教える歴史がある。
たしかにそういう一面はあっただろう。
女は三界に家なし。
文字どおり家にしばられ、夫にしばられ、
歌の文句じゃないけれど、
「女の道よ、なぜ険し……」であった。
《それにしても女は損なものでありました。
月のさわりがありますので……。あれでどれ位損をしたことか》
これは宮本常一の『忘れられた日本人』に出てくる
ある村里の古老の言葉である。
因習や迷信に囚われた明治期の山村などでは、
月のさわりをやかましくいい、
メンスが始まるや、女は一坪ほどの“ヒマゴヤ”に追いやられ、
煮炊きや寝起きを別にした。
血は不浄とされていたからである。
“ヒマ”のときは下着も日に干せなかった。
日本のある時代の女たちは時に家内奴隷であったり、
体のいい分娩道具であったかも知れぬ。
出産一つとっても命がけで、
いうならば片足を墓穴に突っ込んだままの大仕事であった。
今の時代のように、避妊も中絶も自由自在、
産むも産まぬも女の勝手であったなら、
どれほど気楽であっただろう。
そんな封建の世から幾星霜。
幸か不幸か時代は変わり、男女の立場は逆転した。
男はひたすら萎えしぼみ、女はひたすら強くなった。
いや男が弱くなったぶん、
女が強くなったように見えるに過ぎない、とする声もあるが、
いずれにしろ、たび重なる戦争に駆り出されたり、
モーレツな企業戦士に仕立て上げられたりしているうちに、
男たちは20世紀を過ぎる頃までに
精力気力のほとんどを使い果たしてしまった。
青息吐息で21世紀のとば口にたどり着いたときには、
所詮強弩の末か、
伸びきったパンツのひもみたいに力衰えてしまった。
今時の若い娘たちに
「生まれ変われたら、男と女のどっちがいい?」
と問えば、その九割がまた女に生まれたいと答えるという。
ためしにわが娘たちに聞いてみたら、
「女がいいに決まってるじゃん」
と、さも当然のごとく言い放った。
ごく最近まで、田舎に行くと、
激しく腰の折れ曲がった老婦人をよく見かけた。
あの姿が老後の自分の姿だとしたら、
生きることに、また労働に対し絶望的な思いを抱いたであろう。
「また女に生まれたい」などとは、
つゆほども思わないにちがいない。
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