第49回
オバさんという生き方
高速道路が渋滞すると、
決まってサービスエリアの女子用トイレに行列ができる。
男はチャックをおろしホースを引き出すだけで放水できるが、
女は衣服の着脱に手間取るため、
トイレの占有時間が男の3倍もかかるといわれている。
俗に小便三町糞八町というが、
尿意便意をこらえるのはほんとうに辛いものだ。
女たちがあぶら汗を流しながら
トイレの順番待ちをしている光景を見るたびに、
彼女たちへの衷心よりの同情を禁じ得ない。
そしてあらためて
効率よく立ちションのできる幸せを噛みしめるのである。
ところが、生理的欲求にどうにも抗しきれず、
ついには女を捨ててしまう者が出てくる。
男子用トイレをちゃっかり拝借しようと、
突然闖入者のごとく割り込んでくる中年オバさん族だ。
しかし心やさしき男たちは、
そのハレンチな行為を決して咎め立てたりはしない。
きっと我慢の限界なのだろう、
とむしろ同情を寄せてやる。
それに相手はオバさんで、
見たところすでに「女」を捨てている気配である。
赦してあげよう。
男たちは惻隠の情をもって
オバさんの窮状に温かい手を差しのべてやるのである。
これが女子用トイレにおやじ、という設定に変わると、
悲惨の一語に尽きる。
オバさんは女を捨てられても
おやじは男を捨てきれない。
たとえ捨てたと抗弁しても、
心貧しき女たちは到底信用してくれそうにない。
「キャー、痴漢よォ!」
「何してんのよ、この変態おやじ!」
などと罵詈雑言のありったけを浴びせられ、
場合によっては警察のご厄介になる。
不公平である。
どうしてオバさんの傍若無人が許され、
おやじのそれが許されないのか。
なぜオバさんだけが超法規的存在であり続けられるのか。
割り切れない気持ちでいっぱいになるのである。
女がいつオバさんという別の生命体に変身するのかは、
いまだに謎とされている。
一部には、「痴漢を恋しがるようになったとき」
とする穿った見方もあるようだが、
少なくとも自分の声のバカでかさや、
図々しさに快感をおぼえるようになったら、
立派なオバさんになった証拠だろう。
ボーヴォワールは『第二の性』の冒頭で、
《人は女に生まれるのではない。女になるのだ》
と唱えた。
ならば女を廃業しちゃったオバさんは、
いったい第何番目の性と呼んだらいいのかしら。
|