第50回
卑しい「癒やし」
私は近頃はやりの「癒やし」という言葉が大きらいだ。
特に若い連中が、
「この曲を聴くと心が癒やされるんだよな」
などと言うのを聞くと、
顔面にパンチをお見舞いしたくなる。
生まれたときからずっと癒やされっぱなしのくせして、
なに寝言いってやがる。
お前たちに必要なのは癒やしなんぞではなくて、
髪の毛がごっそり抜け落ちるほどのストレスなんだよ、
とつい伝法な調子で説教を垂れたくなってしまう。
唐突ながら、ワイン用のぶどう畑を見たことがあるだろうか。
生食用のぶどうの木には枝もたわわにぶどうが実るが、
ワイン用となると趣ががらりと異なり、
一株に数えるほどの房しかつけていない。
厳しく枝を切りつめ、あえて房の数を限定してしまうのである。
おまけに高級ワインの畑ほど地味がやせていて、
大きな石くれがゴロゴロしていたりする。
土地がやせていれば、
ぶどうの木は地下深くまで根を伸ばし、
必死に水を吸い上げようとする。
逆に土地が肥沃なら、根は地表近くを這うように広がっていく。
なにも無理して地下深くに水を求める必要がないからだ。
皮肉なことに、肥沃な畑で採れるぶどうは凡酒を産み、
やせた畑のぶどうは非凡な酒を産む。
地下深くに伸びた根が、
幾重にも折り重なった地層から各種ミネラル分を吸い上げ、
複雑精妙な味を造り上げるためだ。
人間だって同じだ。
苦労を知らず甘やかされて育てば、
わがままで活力のない凡庸な人間になってしまう。
逆に厳しい環境で時にストレスにさらされながら育てば
内なる生命力が喚起され、心身共に非凡でタフな人間になる。
子供は時にストレスを与えて厳しく鍛えたほうがいいのだ。
戦後60年、
平和ボケのうえになおも「癒やされたい」では虫がよすぎる。
おかげで日陰のモヤシのごとく
ボーッとした、精神病理学の生きた標本みたいな輩が
町中にあふれるに至った。
西洋にはSpare the rod and spoil the child
(ムチを惜しむと子供をだめにする)とする諺がある。
母よ、子供を甘やかしてはならない。
必要なら愛のムチで叩け。
手をあげることをゆめためらうな。
ムチを行使するより、
ためらうことの弊害のほうがずっと大きいのだ。
叱ったあとは、子供をその胸にそっと抱いてやることだ。
母よ、子供をゆめ甘やかしてはならない。
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