誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第48回
コドモ文化、大っきらい

《ぼくは二十歳だった。
それが人の一生で一番美しい年齢だなどと、
だれにも言わせまい……》

小説のなかには、
めちゃくちゃカッコいい書き出しがあるものだが、
ポール・ニザンの『アデン・アラビア』もそのひとつだろう。
この冒頭の一条に惹かれて、
本を買い求めてしまうおっちょこちょいの若者は数知れまい。
私もその一人で、あいにく内容までは思い出せないが、
この強烈な殺し文句だけは鮮明におぼえている。

私は、青春なんてものには一文の価値もありはしない、
と思う者である。
子供のころから青臭く未熟であることが苦痛でたまらず、
早く大人になりたいと願っていた。
青春は空虚で、
老年にこそ充実の日々があると単純に考えていた。
もともと男は早く大人になりたがる生きものだから、
実際の年齢より若く見られたりすると、
「まだまだ甘っちょろい顔をしてるんだな」
とかえってがっかりする。
女は逆に小躍りして喜ぶというから、
女にとって齢を重ねることほど
忌まわしいものはないのだろう。
なにしろ
「二十歳過ぎたら、ひたすらオバさんの坂を転げ落ちるだけ」
と、少女までもが信じている国である。
成熟した女の魅力などわかりっこないし、
西欧的なオトナの文化も育ちようがない。

若い人には時間がたっぷりある。
年寄りには残り時間が少ない。
だから世間は、
若者は優良成長株であるかのように錯覚しがちだが、
まったくのあべこべである。
若者のほうこそ無配株と見るべきで、
配当は歳を重ねるごとに増えていく、
とする考え方のほうがまっとうで自然なのである。

白髪が知恵のしるしでないことぐらいは承知している。
老年が青春に劣らぬくらい虚ろなことも知っている。
知ったうえで、未熟であることに寛大すぎる世の風潮に、
ひとこと苦言を呈しておきたいのだ。
未熟であることは決して美しくない。
無知なることはとても恥ずかしいことで、
それ自体が罪なのだ、と私は思う。
愛すべき女たちよ、
5歳、10歳若く見られたからといって、
それがいったいどうしたというのだ。
シワ伸ばしまでして若さを保ちたいと思う心は未練である。
年齢を隠すより、美しく歳を重ねた顔を
満天下に誇ったほうがよほどカッコいいではないか。


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