| 第47回三高と冬ソナ
 ひと頃、「三高」(高収入、高学歴、高身長)などという言葉がはやって、
 三高でない男と結婚した女(大多数の女がそうだが)に
 無用の敗北感(負け犬と呼ぶ者もあった)を抱かせたり、
 「三低」の男たちに、いわれのない劣等感を植えつけたりもした。
 そのうち身長だけは努力しても変えられないとわかったのか、
 「高身長」が消え、代わりに家事を手伝ってくれたり、
 出勤時にゴミ出しをしてくれる
 「やさしい男」の一条が加わった。
 どう考えても虫のよすぎる要求で、そんなおあつらえむきの男がいたら、ぜひとも会ってみたい、
 会って思いきり殴ってやりたい、
 と私などはついひがみ根性丸出しになってしまうが、
 なに男だって
 「従順で才長けたグラマーな美女」
 というありもしない幻想を追いかけているのだから、
 おあいこである。
 周囲を見回すと、三高の男などそうザラにはいないことがわかる。よくて「二高一低」もしくは「一高二低」といったところで、
 たまにこれぞ三高という男を見かければ、
 プライドが極端に肥大化した高慢ちきな野郎だったり、
 母親のおっぱいを恋しがるマザコン男だったりする。
 良質な三高男となると、ぐっと品薄になるのである。
 三高なる言葉には、日本の女の置かれている現在ただ今の
 社会的地位や潜在的願望が色濃く映し出されている。
 すなわち、多くの女性たちの生活レベルが
 相変わらず夫の収入に連動したものでしかない、
 という悲しい事実だ。
 韓国の純愛ドラマ『冬のソナタ』に狂った女たちは、
 「一度でいいから、あんな台詞で口説かれてみたい」
 と思うそうだ。
 この種の女たちは、
 やれ学歴だ収入だと三高を求めるあまり、
 身もだえするほど男に惚れるという、
 いわゆる恋煩いをしたことのない女たちなのかも知れぬ。
 算盤ばかりが先立って、
 男の前に身も心も投げ出すという経験を、
 かつて一度もしたことがない。
 インテリジェンスが邪魔をして、
 ほんとうの気持ちを映した心の鏡を
 曇らせてしまったのではないか。
 英語には妻のことをlawful jamとする言い方がある。直訳すると「合法的な情婦」の意だ。
 三高などというバカなお題目を唱えていると、
 好きでもない男と一緒になり、愛のない生活、
 すなわち出来損ないの娼婦のような生活を送るハメになる。
 夫こそいい面の皮なのだ。
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