第46回
女のおしゃべり
男と女がいったん夫婦になってしまうと、
どうしてこうも貧寒な会話しかできなくなるのだろう。
結婚もマカロニもうまいのは熱いうちだけというが、
おそらく半分は正解だろう。
恋人同士だったころは、いつまで話しても話し足りなくて、
あんなに別れを惜しんだというのに。
男はフェミニストを自称していても、
内心では女を小バカにしている。
女の話など聞くに堪えないもの、と思っている。
昔から女の話は一里限り、といわれてきたが、
男なら頷かぬ者はあるまい。
たとえインテリであろうと、
女の話題と関心は
いつも自分の身の回りの限られた世界にとどまっている。
ひとたび女たちが集まれば、
子供自慢に近所の噂話、芸能ゴシップ話に終始し、
まちがっても、
靖国参拝問題や集団的自衛権の問題が話されることはない。
ウソだと思ったら、
女の立ち話にそっと聞き耳を立ててみるがいい。
もっとも男たちだって、
新聞や週刊誌記事の受け売りだろうから、
たとえ天下国家を論じていても、自ずと底は見え透いている。
見え透いてはいるが、
男は政治社会に関わる話柄に、とりわけ関心をもちたがる。
どっちの話柄が上等か、という問題ではない。
おしゃべりの中身を比較しただけでも、
男と女はこれほどまでに違っている、
ということがいいたいのだ。
ならば、殿方たちの話題に加わって、
共に天下国家を論じましょう、
としゃしゃり出るのがいいのかというと、
実はこの手の出しゃばり女が一番きらわれる。
表向きはチヤホヤするだろうが、
この手の女と結婚したいなどとは金輪際思わない。
男は賢しらな女がきらいなのだ。
鼻先に“利口者”の三文字をぶら下げているような女と
一つ屋根の下に暮らしても、心が安まらないからである。
仕事で疲れた身体を休めたいと思っても、
口うるさい学級委員みたいな女房が目の前にいたら、
余計疲れが倍加してしまう。
男がそばにいてほしいと願うのは、
貞淑かつ万事控えめな女であって、
口をへの字に曲げた
旧社会党の女党首みたいなおっかない女ではないのだ。
もちろんこれは男
(といっても、自分に自信がもてない一山いくらの男ではあるが)
の身勝手な意見というもので、
これじゃあ女の立つ瀬はあるまい。
そう、男と女はどう転んでも、互いに立つ瀬などないのだ。
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