第20回
父より先に箸をつけるな
昔の母たちはほんとうに偉かった。
大学で家政学を学んだわけでもないのに、
家政全般に通じていた。
おさんどんをこなし、子供をしっかり育て、
夫の操縦術も心得ていた。
なべて学問はなかったが、生活力と教養は十分身に付けていた。
「今夜はみっちりお父さんに叱ってもらいますからね」
母は、言うことを聞かない私によくこういったものだ。
私の父は小心者で、母に比べると性格も穏やか。
めったに子を叱ることはなかった。
えてしてその種の人間は、
叱るときは口より先に手が出てしまうものだが、
ふだんはいたって物静かな人であった。
だから、父に叱ってもらいますよと母が脅しても、
一応かしこまったふりはするものの、
誰も畏れ入りはしなかった。
父は薄給だった。
昔は人を何十人も使い、大きな製材所を経営していたが、
倒産してからは変な野望を捨て、
薄給のサラリーマンに甘んじて生涯を終えた。
給料日になると、
母は父の差し出した給料袋をありがたそうに押し戴き、
神棚に捧げた。
子供らは父の給料袋の薄いことを知っていたが、
母の一連の厳かな「儀式」を黙って見つめていた。
母は何かにつけて父を立てた。
子供たちの眼には“影の家長”が誰であるか明々白々であったが、
母は倦かずに父を立て続け、
傍目にもくさい芝居を延々と繰り返した。
父を立てることが家庭の秩序のために大切だということを
身にしみて知っていたからだ。
フェミニストたちは、
こうした母や妻たちを封建的な家父長制度の犠牲者などと
冷たく断じるが、はたしてそうだろうか。
テレビCMなどでは夫が台所に入り、
妻が居間でワイン片手にくつろぐ図や、
パソコンを扱えない夫を
妻と娘が小バカにするシーンなどがしばしば出てくるが、
ここまで父権を貶めて、いったい何の得があるのか。
男女が同権になったのは米国ですら1970年以降だという。
人類数十万年の歴史の中で綿々と引き継がれてきた、
家庭の秩序を保つための知恵やしきたりを、
たった30年前に芽生えた価値観をもって全否定していいのか。
曲がりなりにも妻が夫を立てていた時代は、
父親たちは元気が良かった。
母親たちも幸せそうだった。
家庭の隅々までパリッと糊が利いていた。
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