第18回
単純がいちばん
私は‘simple is best’だと思っている。
着るものにしろ食べるものにしろ、
あれこれ手を加えて複雑にしない。
味つけもざっくりやり、こてこてと手をかけない。
素材を活かすといえば聞こえはいいが、
要は面倒くさがり屋なのかも知れない。
生き方も単純で、
腹が立てば怒りまくり、嬉しければ腹から笑う。
まるで長屋の八つぁん、熊さんみたいだが、
たしかに八つぁん、熊さん的な生き方に憧れているフシはある。
子供の頃は自意識過剰のガキだった。
太宰治の『人間失格』の冒頭に、
薄気味わるい子供の写真の話が出てくる。
この男の子は両のこぶしを固く握り、笑いながら立っている。
《人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。
猿だ。猿の笑顔だ……》と、
太宰はこの薄気味わるい主人公に自分の自意識を重ねていく。
私はまさにこの猿のような薄気味わるい子供だった。
自意識という近代人特有の病弊は
いつごろから蔓延してきたのだろう。
三島由紀夫の太宰ぎらいは有名で、
「太宰が抱えている文学の主題なんぞ
毎朝冷水摩擦をしたら消えてしまう」
などとうそぶいていたらしいが、
三島本人は自衛隊での
訓練塔からの降下練習(ほんの数秒だが)が、
唯一、自意識から解放される瞬間であったようだ。
冷水摩擦程度では、
自意識という魔物からはなかなか逃れることはできない。
青春時代のほとんどを神経症で悩まされた私は、
不安定な観念の動きをどう封じ込めるか、
ということに憂き身をやつした。
観念などというやくざなものは、
永久に肉体の支配下に置いてしまえ、と願ったのだ。
平家の荒武者たちはよく笑い、よく泣いた。
そこには現代心理学など入り込めないくらいの
単純さと無邪気さがあった。
現代人は単純な人間より
複雑な人間のほうを上等と見る傾向にあるようだが、
その“複雑”の中身は、単に小利口で物わかりがよく、
処世に長けたすれっからし、というだけのことかも知れぬ。
あえてヤボを承知でいうが、
私は八つぁん、熊さん的な、
喜怒哀楽を無邪気に表現できるような人間になりたい。
肉体が観念に引きずられ、
鼻先に才気をぶら下げているような人間がきらいなのだ。
単純で何がわるい。
ヤボ天で何がわるい。
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