| 第21回笑いのインフレ
 テレビの影響なのか、近頃の若者たちはやたらバカ笑いをするようになった。
 私は以前、喜怒哀楽を素直にあらわす
 八つぁん・熊さん的な生き方がしたいと言ったことがあるが、
 なにも泣かずともよい場面でメソメソし、
 笑わずともよいところでバカ笑いをしろ、
 といったわけではない。
 近頃の男のメソメソやバカ笑いは、
 場所柄をわきまえないばかりでなく、
 愚劣かつ低俗で、
 そしてまたいかにも小市民的な痴愚に発している。
 昼にやっている「笑っていいとも」などという番組を見ていると、スタジオに集まったミーチャン・ハーチャンが、
 つまらないギャグに大笑いしている。
 司会のヤモリとかタモリとかいうグラサンの小男は、
 さんまとかいう騒々しい男と並ぶ
 息の長い人気タレントだそうで、
 この十数年、日本のバラエティ番組や
 お笑い番組を引っぱってきたのだという。
 引っぱられるほうも引っぱられるほうだが、現在のテレビで垂れ流される幼児性丸出しの笑いなど、
 とても笑いと呼べる代物ではない。
 むしろ冷笑・憫笑こそがふさわしく、
 とても大人の鑑賞には堪えられない。
 せいぜいミーハーのおつむのレベルにふさわしい笑いで、
 タレント(才能ある人)などとは、土台わるい洒落なのだ。
 日本で呼ぶところのタレントなどは、
 軽薄才子の謂いであって、
 できることなら一網打尽にし、
 クローゼットの中に押し込んでしまいたいくらいなのだ。
 昔の芝居小屋では、観客は弁当をつかいながら箸先で役者の品定めをし、
 また席亭にあっては
 客席の隅でゴロリと横になっている客もあった。
 噺家の芸が未熟なら、
 客たちはおしゃべりをしたり居眠りをしたりと勝手放題だが、
 話が俄然面白くなれば、
 手枕で横になっていた客もガバと起き上がって耳を傾けた。
 芸人の芸は客たちのきびしい批評眼によって
 鍛えられていたのである。
 その点、木戸銭を払ったわけでもない、テレビの前の客相手なら芸人たちもお気楽でいい。
 演じるほうも低級なら、見ているほうも低級。
 甘い客だから、芸人の芸はいっこうに磨かれない。
 とどのつまり、若者はわけもなくバカ笑いをし、
 芸人たちの芸は低落の一途をたどった。
 高級な笑いが絶えて久しくなった。
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